May 27, 2012

2011.12.26 「イプセン v. 特許庁長官」 知財高裁平成22年(行ケ)10367

hPTHrPアナログの発明: 知財高裁平成22年(行ケ)10367

【背景】

「副甲状腺ホルモンの類似体」に関する出願(特願平9-505897; WO97/02834; 特表平11-509201)の拒絶審決(不服2007-31134)取消訴訟。審決は下記のとおり進歩性欠如及び実施可能要件違反を理由に拒絶審決とした。
請求項1:
式:[Glu22, 25, Leu23, 28, 31, Aib29, Lys26, 30]hPTHrP(1-34)NH2のペプチド
審決の理由の要旨は下記のとおり。
引用発明:
hPTHrP(1-34)NH2の5位をIleに,19位をGluに,21位をValに置換したペプチド

一致点:
構成アミノ酸の数個を置換した,hPTHrP(1-34)NH2のペプチド

相違点:
本件発明では,22及び25位をGluに,23,28及び31位をLeuに,29位をAibに,26及び30位をLysに置換したものであるのに対し,引用発明では,5位をIleに,19位をGluに,21位をValに置換したものである点

ヒト副甲状腺ホルモン関連タンパク質(PTHrP)の改変体を製造しようとすること,その際,ヒト副甲状腺ホルモン(PTH)とPTHrPとでアミノ酸残基の異なる部位に着目することは,引用文献に接した当業者であれば,容易に想到し得たことであり,hPTHrP(1-34)NH2の改変体において,PTHとPTHrPとで共通するアミノ酸が占める部位以外の部位である,22,23,25,26,28,29,30及び31位のアミノ酸を置換しようとすることは,当業者が容易になし得た。本件明細書には,本件ペプチドのPTHレセプターへの結合及びアデニル酸シクラーゼ活性の刺激に対する効果が記載されておらず,本件発明が格別の効果を奏するとはいえない。したがって,本件発明は,引用発明に基づいて,当業者が容易に発明することができたものである。

本件明細書の発明の詳細な説明には,本件ペプチドが奏する効果についての具体的な記載はなく,所定の効果を示すことについて,具体的な技術的説明も記載されておらず,本件発明について当業者が実施することができるように明確かつ十分に記載されていないから,36条4項に規定する要件を満たしていない。
【要旨】

裁判所は、
「本件ペプチドは,当業者が,容易に製造,作製することができるものであって,また,本件当初明細書には,本件発明につき当業者が予測することができない効果が記載されているとは認められないことから,当業者は,引用発明を基礎として,何らの困難を伴うことなく,本件発明に至ることができる」
と判断した。まずはじめに以下のとおり言及した。
「発明が,特許法29条2項に違反しないと判断されるためには,その前提として,常に,当該発明の効果が,当初明細書の「特許請求の範囲」又は「発明の詳細な説明」に記載又は示唆されていることが求められるものではない。しかし,先願主義の下,発明を公開した代償として,発明の実施についての独占権を付与することによって,発明に対するインセンティブを高め,産業の発展を促進することを目的とする特許制度の趣旨に照らすならば,当該発明による格別の効果が,当初明細書に記載又は示唆されているか否かは,発明の容易想到性の判断を左右するに当たって,重要な判断要素になることはいうまでもない。

特に,本件のような,アミノ酸配列を規定したペプチドに係る発明については,①特定のアミノ酸配列が,ペプチドにおける既知のアミノ酸配列を変化させて,ペプチドの物性を改良することは,全ての当業者が試みるものと解されること,②アミノ酸の数が少ないペプチドについて,当該発明の効果を切り離して,単に製造をするだけであれば,さほど技術的な困難を伴わないと解されること等の諸事情を勘案すると,容易想到性の有無を判断するに当たり,当該発明の効果は,重要な技術的意味を有する考慮要素とされるべきである。

もっとも,当該発明の効果は,常に,当初明細書に記載されていることを要するものではなく,当初明細書に記載されなかった効果について,追加記載ないし事実
主張や立証の補充が,全て排斥されるとまではいえない。しかし,前記特許制度の趣旨に照らすならば,本件のようなアミノ酸配列を規定したペプチドに係る発明については,当初明細書に記載されなかった効果についての追加記載及び事実主張や立証の補充が許容される場合は,限定される場合が多いものと解するのが相当である。」
裁判所は、以上の点を踏まえて、まず本件ペプチドの相違点に係る構成に至ることの容易想到性について以下のとおり判断した。
「(中略)以上によると,①レセプターへの結合に優れたPTH及びPTHrPの改変体を製造するに当たり,本件23か所のみならず,任意の部位における,任意の個数のアミノ酸残基を置換することが,実際に試みられており,本願優先日当時,当業者において,ヒトPTHrP(1-34)NH2の改変体を製造するに当たり,1ないし34位の全てについて,任意の個数のアミノ酸残基を置換することが可能であることが技術常識であり,②本願優先日当時,置換に当たって選択されるアミノ酸は,天然アミノ酸に限られず,非天然アミノ酸も含まれること等が技術常識であった。
そうすると,改変体の有する効果を考慮に入れることなく,単に,引用発明ペプチドの1ないし34位の任意の部位を天然又は非天然アミノ酸に置換して,ヒトP
THrP(1-34)NH2の改変体を得ることには,格別の困難はない。したがって,このようなヒトPTHrP(1-34)NH2の改変体の一つである本件ペプチドの構成に至ることは,当業者において,容易になし得たといえる。」
さらに、裁判所は、本件発明の効果の観点から容易想到性の有無についてさらに以下のとおり検討した。
「(中略)本件当初明細書の表1(別紙2)にはPTH改変体のうち30個のペプチドについての試験結果が記載されているだけで,PTHrP改変体の試験結果は記載されていないところ,上記表1に記載されているPTH改変体には,本件ペプチドと置換する部位及び置換するアミノ酸が同一の改変体は含まれていない。

(中略)また,前記のとおり,PTH又はPTHrPの改変体については,様々な部位で様々なアミノ酸残基への置換が行われていたが,置換する部位や置換に使用するアミノ酸によって,その改変体が示す活性に差異が生じており,その効果を予測することは困難であったこと,特に,本件ペプチドではヒトPTHrP(1-34)NH2のうち8か所においてアミノ酸残基の置換が行われており,その効果を予測することは極めて困難であったことからすると,PTHrP改変体をPTH改変体と同じように使用することができると考えられるとしても,本件当初明細書における上記記載内容のみでは,当業者において,本件当初明細書に本件ペプチドの効果について実質的に開示がされていたとはいえず,また,本件当初明細書に当時の技術常識から当業者が本件発明の効果を認識できる程度の記載があったとも認められない。」
原告は、
「本件ペプチドの効果の認定に当たっては,本件データも勘案されるべきである」
と主張した。しかし、裁判所は、
「本件発明については,本件当初明細書にその効果が示されておらず,また,本件当初明細書に当業者がその効果を認識できる程度の記載があるとは認められないことからすると,出願後になされた試験結果を勘案することはできないというべきである。」
と判断した。

請求棄却。

【コメント】

本件のような、既知のペプチドの構成アミノ酸を別のアミノ酸に置換させたペプチド改変体に係る発明については、
  • ①ペプチドにおける既知のアミノ酸配列を変化させて,ペプチドの物性を改良することは,全ての当業者が試みるものであり,かつ,
  • ②アミノ酸の数が少ないペプチドについて,当該発明の効果を切り離して,単に製造をするだけであれば,さほど技術的な困難を伴わないと解されること
ということであれば、当該ペプチド改変体は当業者において引用発明に基づいて容易にその構成に至ることができたものと判断される可能性が高い。

従って、当該ペプチド改変体には予測できない効果があることをしっかりと主張できるかどうかが、容易想到性の有無を判断するに当たり重要になってくる。

欧米を見ると、いずれでも特許成立している。
  • US5,969,095
  • EP0847278(B1)(claim 22)

日本については本願から分割出願され、それぞれ下記のような状況である。
  • 特願2003-008027; 特開2003-238595; 登録4008825
  • 特願2007-174291; 特開2007-302682; 査定不服審判2008-014375; 出訴事件番号(平22行ケ10355) 出訴日(平22.11.17)

参考:




May 19, 2012

2011.12.26 「國際威林生化科技 v. 特許庁長官」 知財高裁平成22年(行ケ)10402

補正要件、サポート要件: 知財高裁平成22年(行ケ)10402

【背景】

「抗菌,抗ウィルス,及び抗真菌組成物,及びその製造方法」に関する出願(特願2003-408761号、特開2005-170797号)の拒絶審決(不服2007-24198)取消訴訟。

【要旨】

ア 取消事由1(新規事項の有無についての判断の誤り)について
「本件補正(第2次補正)は,本願発明(第1次補正)における「・・・キノンからなる群から選択される酸化能力を有する試薬」との記載を「・・・酸化能力を有する試剤は,アズレンキノン,1,2-ジヒドロキノン,および1,4-ジヒドロキノンからなる群から選択され」との記載に訂正する内容を含んでいる。しかし,~当業者は,このような名称を有する化学物質がいかなる化学構造を有する物質であるかを理解することができず,そもそも上記補正が当初明細書等に記載した事項の範囲内か否かを判断することができないので,上記補正は当初明細書等に記載した事項の範囲内においてするものということはできない。したがって,「本件補正は,当初明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてするものとはいえないので,特許法第17条の2第3項に規定する要件を満たしていない」との審決の判断に誤りはない。」
イ 取消事由4(目的要件の判断の誤り-「添加剤(C)」の内容を6種類に限定することは「減縮」に当たる)について
「本件補正後の請求項1(本願補正発明)「添加剤(C)」として列記されている~「硫酸カルシウム」及び「塩化マグネシウム」は,本件補正前の「添加剤(C)」には含まれない。したがって,~本件補正は特許請求の範囲の減縮ということはできないから,特許請求の範囲の限定的減縮を目的とするものではなく,審決の判断に誤りはない。」
ウ 取消事由5(独立特許要件〔サポート要件〕の判断の誤り)について
「本願の当初明細書には,~成分(A)のMとして「銅」以外の金属を使用する組成物については,発明の詳細な説明に具体的データの記載がなく,また,本願の組成物が脂肪酸やDNAを分解するメカニズムを説明する記載もなく,~組成物中の各成分が果たす役割を実証する記載もない。他方,本件補正後の請求項1の記載によって特定される3つの成分を組み合わせることにより,脂肪酸やDNAが分解でき,その結果,バクテリア,ウイルス及び真菌類を破壊,殺菌できることについて,具体例をもって示さなくとも当業者が理解できると認めるに足りる技術常識はない。
そうすると,本願の組成物の成分(A)のMとして「銅」以外の金属を使用するものが,脂肪酸やDNAを分解でき,バクテリア等を破壊,殺菌するという課題を解決できるということはできないので,本願における発明の詳細な説明は,本件補正の請求項1の記載によって特定される成分(A)のMの全ての範囲において所期の効果が得られると当業者において認識できる程度に記載されているということができない。したがって,本件補正後の請求項1(本願補正発明)の記載は,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」(サポート要件充足)ということはできない。

~原告は,「銅」以外の各種金属イオンを含有する抗菌,抗ウィルス,及び抗真菌組成物を本願明細書の実施例1と同じ手順で調製し,実験例1及び2で述べた手法で検証したところ,金属イオン化合物が本願補正発明において触媒機能を発揮し,これらの化合物を使用して組成物を調製した場合においても所望の抗菌,抗ウィルス及び抗真菌作用を奏することが示されたと主張する。しかし,明細書等に記載されていなかった事項について,出願後に補充した実験結果等を参酌することは,特段の事情がない限り,許されないというべきところ,原告が主張する上記実験結果は本願の当初明細書に記載されておらず,それがいつ,どこで行われた実験であるか明らかでないばかりか,~上記実験は本件訴訟提起後に行われたと推認されるし,本願の当初明細書又は出願時の技術常識から上記実験の結果が示唆ないし推認されるような特段の事情も認められないから,そもそも上記実験結果を参酌することはできないというべきである。したがって,原告の上記主張は採用することができない。」
結論
「以上のとおりであるから,本件補正には新規事項追加禁止違反(改正前特許法17条の2第3項),目的要件違反(17条の2第4項)及び独立特許要件違反(36条6項1号等)があるから,その余の取消事由について判断するまでもなく,本件補正を却下すべきものとした審決の結論に誤りはない。」
請求棄却。

【コメント】

出願人の補正はどう考えても無理があったのでは。
また、当初明細書等に記載されていなかった事項について、サポート要件違反を解消するために出願後に補充した実験結果等を参酌することは、特段の事情がない限り許されない。

参考:
特許・実用新案審査基準 第Ⅰ部第1章 明細書及び特許請求の範囲の記載要件

2.2.1.5 第36条第6項第1号違反の拒絶理由通知に対する出願人の対応
出願人は第36条第6項第1号違反の拒絶理由通知に対して意見書、実験成績証明書等により反論、釈明をすることができる。

(1)違反の類型(3)について(2.2.1.3(3)参照)
出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化することができないと判断された場合は、出願人は、例えば、審査官が判断の際に特に考慮したものとは異なる出願時の技術常識等を示しつつ、そのような技術常識に照らせば、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できることを、意見書において主張することができる。また、実験成績証明書によりこのような意見書の主張を裏付けることができる(事例6,7,21参照)。

ただし、発明の詳細な説明の記載が不足しているために、出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化することができるといえない場合には、出願後に実験成績証明書を提出して、発明の詳細な説明の記載不足を補うことによって、請求項に係る発明の範囲まで、拡張ないし一般化できると主張したとしても、拒絶理由は解消しない(事例4,5,8,9参照)。(参考:知財高判平17.11.11(平成17(行ケ)10042 特許取消決定取消請求事件「偏光フィルムの製造法」大合議判決))

(2)違反の類型(4)について(2.2.1.3(4)参照)
請求項において、発明の詳細な説明に記載された、発明の課題を解決するための手段が反映されていないため、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えて特許を請求することになっていると判断された場合は、出願人は、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮すれば、審査官が示した課題や課題を解決するための手段とは異なる課題や課題を解決するための手段を把握可能であり、請求項にはその課題を解決するための手段が反映されている旨の反論を行うことができる。

May 9, 2012

2011.11.30 「第一三共 v. 特許庁長官」 知財高裁平成23年(行ケ)10018

カルベジロールの虚血性心不全患者死亡率減少効果の顕著性: 知財高裁平成23年(行ケ)10018

【背景】

「うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」に関する特許(第3546058号)の訂正審判(訂正2010-390052)審決取消訴訟。争点は、訂正発明の進歩性。

手続きの経緯は下記のとおり。
  • 2007年9月13日、沢井製薬は、無効審判請求(無効2007-800192)し、特許庁は、特許無効審決。
  • 2009年4月13日、上記審判手続中に本件特許の移転登録を受けた原告は、審決取消訴訟を提起(平成21年(行ケ)10101)するとともに訂正審判を請求(訂正2009-390065)。裁判所は、審決を取り消す旨の決定をし、事件は特許庁に差し戻された。
  • 2010年3月29日、特許庁は、同審判手続きにおいて請求された訂正を認容した上で、特許無効審決(無効2007-800192)。
  • 2010年5月6日、原告は、上記無効審決の取消しを求めて訴訟を提起(平成22年(行ケ)10140)するとともに訂正審判を請求(訂正2010-390052)したが、特許庁が審判請求不成立の審決を出したため、原告は、本件審決取消訴訟を提起した。

訂正発明1:
利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:
(略)
を有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。
【要旨】

裁判所は、訂正発明1における顕著な作用効果を考慮することなく同発明が特許法29条2項に該当するとした審決には誤りがある、と判断した。事案にかんがみ、取消事由4(顕著な作用効果を看過した誤り)について下記のとおり判断した。
「当該発明が引用発明から容易想到であったか否かを判断するに当たっては,当該発明と引用発明とを対比して,当該発明の引用発明との相違点に係る構成を確定した上で,当業者において,引用発明及び他の公知発明とを組み合わせることによって,当該発明の引用発明との相違点に係る構成に到達することが容易であったか否かによって判断する。相違点に係る構成に到達することが容易であったと判断するに当たっては,当該発明と引用発明それぞれにおいて,解決しようとした課題内容,課題解決方法など技術的特徴における共通性等の観点から検討されることが一般であり,共通性等が認められるような場合には,当該発明の容易想到性が肯定される場合が多いといえる。
他方,引用発明と対比して,当該発明の作用・効果が,顕著である(同性質の効果が著しい)場合とか,特異である(異なる性質の効果が認められる)場合には,そのような作用・効果が顕著又は特異である点は,当該発明が容易想到ではなかったとの結論を導く重要な判断要素となり得ると解するのが相当である。」
裁判所は、上記観点から以下のとおり検討した。

ア 刊行物Aとの対比
「訂正発明1については,カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより,死亡率の危険性が67%減少する旨のデータが示されている。
これに対し,刊行物Aには,カルベジロールは虚血性心不全である冠動脈疾患により引き起こされた心不全の患者の症状,運動耐容能,長期左心室機能を改善する点の示唆はあるものの,死亡率改善については何らの記載もない。また,刊行物Aには,カルベジロールを特発性拡張型心筋症により引き起こされた非虚血性心不全患者に対し,少なくとも3か月投与したところ,左心室収縮機能等の改善が認められたことが記載されているが,死亡率の低下について記載はない。」
イ その他の公知文献との対比
「~上記のとおり,本願優先日前,β遮断薬による虚血性心不全患者の死亡率の低下については,統計上有意の差は認められていなかったと解される。また,本願優先日前に報告されていたACE阻害薬の投与による虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率の減少は16ないし27%にすぎず,また,虚血性心不全患者の死亡率の低下は19%にすぎなかった。したがって,訂正発明1の前記効果,すなわち,カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより死亡率の危険性を67%減少させる効果は,ACE阻害薬を投与した場合と対比しても,顕著な優位性を示している。」
ウ 虚血性心不全と非虚血性心不全の治療効果の差異
「虚血性心不全は冠動脈疾患を原因とする心不全であるのに対し,非虚血性心不全は冠動脈疾患以外の原因で発生する心不全であり,その発生原因が異なるため,生存率も異なり(虚血性心不全の方が非虚血性心不全より生存率が悪い。),薬剤投与の効果も異なるということが,本願優先日前の当業者の技術常識であったと認められる~。~以上によると,前記のとおり,ACE阻害薬の投与により虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率が16ないし27%減少したという報告がなされていたとしても,虚血性心不全患者に限った場合,同程度の死亡率減少効果が認められると予測し得るとはいえない。」
エ 以上のとおり,訂正発明1の構成を採用したことによる効果(死亡率を減少させるとの効果)は,訂正発明1の顕著な効果であると解することができる。
「訂正発明1は,カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより,死亡率の危険性を67%減少させる効果を得ることができる発明であり,訂正発明1における死亡率の危険性を67%減少させるとの上記効果は,「カルベジロールを『非虚血性心不全患者』に少なくとも3か月間投与し,左心室収縮機能等を改善するという効果を奏する」との刊行物A発明からは,容易に想到することはできないと解すべきである。」
オ 被告の主張に対して
「この点,被告は,訂正発明1に係る特許請求の範囲において,「死亡率の減少」という効果に係る臨界的意義と関連する構成が記載されておらず,訂正発明1は,薬剤の使用態様としては,この分野で従来行われてきた治療のための使用態様と差異がなく,カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与することと明確には区別できないことから,死亡率の減少は単なる発見にすぎないことを理由に,訂正発明1が容易想到であるとした審決の判断に,違法はない旨主張する。
しかし,被告の主張は,以下のとおり採用の限りでない。
すなわち,特許法29条2項の容易想到性の有無の判断に当たって,特許請求の範囲に記載されていない限り,発明の作用,効果の顕著性等を考慮要素とすることが許されないものではない(この点は,例えば,遺伝子配列に係る発明の容易想到性の有無を判断するに当たって,特許請求の範囲には記載されず,発明の詳細な説明欄にのみ記載されている効果等を総合考慮することは,一般的に合理的な判断手法として許容されているところである。)。
また,カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与する例が従来から存在すること,及び「治療」目的と「死亡率減少」目的との間には,相互に共通する要素があり得ることは,原告主張に係る取消理由2の4に対する反論としては,成り立ち得ないではない。すなわち,「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって,直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」という限りにおいては,合理的な反論になり得るといえよう。しかし,被告の論旨は,原告主張に係る取消事由4(「死亡率の減少が予測を超えた顕著性を有する」)に対しては,有効な反論と評価することはできず,その点は,既に述べたとおりである。」
裁判所は、以上のとおり、原告主張に係る取消事由4には理由があり、審決にはその結論に影響を及ぼす誤りがあることになるからその余の点を判断するまでもなく違法であると判断し、審決を取り消した。

【コメント】

本事件は、発明の作用・効果の顕著性が進歩性判断の決め手となった事案である。

本件判決では、引用発明と対比して、発明の作用・効果が顕著である(同性質の効果が著しい)場合又は特異である(異なる性質の効果が認められる)場合には、そのような点は当該発明が容易想到ではなかったとの結論を導く重要な判断要素となり得ることが判示された。

裁判所は、判決文でも明らかなように、「刊行物Aには,カルベジロールは虚血性心不全~の患者の症状,運動耐容能,長期左心室機能を改善する点の示唆はある」と判断している。この点からすれば、カルベジロールを「虚血性心不全患者」を「治療」する目的で使用することは、刊行物A発明に基づいて、当業者なら容易に想到することができ、さらに、特許庁が主張したように、「治療」目的の投与と「死亡率減少」目的の投与とでは実質的に区別できない構成である、または「死亡率の減少」は「治療」の延長線上にあるから当業者なら容易に想到できる構成である、と判断されて、当該発明は進歩性なし…という結論に至る可能性もあったように思える。

しかし、裁判所は、当該発明の「死亡率減少」という顕著な作用効果を看過した誤りがあるとの原告の主張(取消事由4)には理由があり、審決の結論に影響を及ぼす誤りがあることになると判断した。

進歩性判断手法の一般論として、引用発明から当業者にとっては容易に想到できる構成であるにもかかわらず、他方で引用発明と比較した効果が顕著であった場合、相違点の構成に到達することの容易性に重きを置くのか、作用・効果の顕著性に重きを置くのかは進歩性判断の結論を出す上で重要な問題である。

本判決では、取消事由4(顕著な作用効果を看過した誤り)のみが判断され、それ以外の容易想到性の判断の誤りに関する取消事由については判断されなかったため、判決後の差戻し審理で特許庁が、判決で判断されなかった相違点の構成に到達することの容易想到性と、作用・効果の顕著性とのバランスをどのように判断するのか期待していたのだが、特許庁は、「効果は、刊行物A発明からは、容易に想到することはできないと解すべきである」との判示事項により拘束される事項を「発明が刊行物A発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができないものである」と捉えて訂正を認める審決を下している(2012.01.19 訂正2010-390052)。発明の効果の顕著性が進歩性を肯定する十分条件とするならば、データ後出しによる発明効果主張の補強を寛容にするという近年の傾向(気のせいかもしれませんが。参考: 進歩性のための明細書記載要件; 2010.07.15 「P&G v. 特許庁長官」 知財高裁平成21年(行ケ)10238)は、第三者にしてみれば、特許成立予測可能性を困難にさせる懸念がある。

なお、上記訂正審決は確定したことによって、訂正前の特許請求の範囲に基づいてなされた無効審決(無効2007-800192)は、結果的に発明の要旨認定を誤ったことになり、違法として取り消された(2012.03.06 「第一三共 v. 沢井製薬」 知財高裁平成22年(行ケ)10140)。

参考:

カルベジロール(Carvedilol、第一三共の販売名: アーチスト(Artist)錠)はα受容体遮断作用を併有するβ受容体遮断薬である。日本では「本態性高血圧症(軽~中等症)、腎実質性高血圧症、狭心症」の効能で製造承認を取得し、「アーチスト錠10mg」、「アーチスト錠20mg」として1993年5月に発売された。さらに、「虚血性心疾患又は拡張型心筋症に基づく慢性心不全」の効能追加(錠10mg)及び慢性心不全用の低含量製剤として、「アーチスト錠1.25mg」、「アーチスト錠2.5mg」の剤形追加に係る申請を行い、2002年10月に承認された。

効能又は効果は下記のとおり。
○本態性高血圧症(軽症~中等症)
○腎実質性高血圧症
○狭心症
○次の状態で、アンジオテンシン変換酵素阻害薬、利尿薬、ジギタリス製剤等の基礎治療を受けている患者
虚血性心疾患又は拡張型心筋症に基づく慢性心不全

後発品には、「虚血性心疾患又は拡張型心筋症に基づく慢性心不全」の効能は記載されていない。