Seagen社と第一三共との間で争われていたEnhertu®(エンハーツ)を巡る米国特許侵害訴訟において、テキサス州東部地区連邦地方裁判所の陪審員は、第一三共による特許の故意侵害があったと評決したことを、2022年4月8日(現地時間)、両社のプレスリリースは伝えました。
- 2022.04.08 Seagen press release: Seagen Announces Jury Award in Patent Infringement Case Against Daiichi Sankyo
- 2022.04.09 第一三共 press release: 当社ADC製品に関するSeagen社との特許係争に関するお知らせ
本記事では、第一三共が創製した抗体薬物複合体(ADC)であるトラスツズマブ デルクステカン(trastuzumab deruxtecan)を有効成分とする抗悪性腫瘍剤Enhertu®とSeagen社が保有するADC技術に関する米国特許との関係で、両社の間で起きている特許紛争の現状を紹介します。
1.Enhertu®とは
Enhertu®(「エンハーツ」ともいう)は、ヒト上皮増殖因子受容体2型(HER2)に対するヒト化モノクローナル抗体とトポイソメラーゼI阻害作用を有するカンプトテシン誘導体を、リンカーを介して結合させた抗体薬物複合体(antibody-drug conjugate: ADC)であるトラスツズマブ デルクステカン(trastuzumab deruxtecan)を有効成分とする抗悪性腫瘍剤です。
2019年3月、第一三共とAstraZeneca社は、全世界(第一三共が独占的権利を有する日本は除く)においてトラスツズマブ デルクステカンを共同で開発及び商業化する契約を締結し、2019年12月に米国で承認、2020年3月には日本でも承認され、販売されています。
2021年10月29日に開催された第一三共によるEnhertu®の事業説明会(説明会資料(日本語版)、オンデマンド配信)では、がん領域の売上収益目標として「3ADCの最大化により、2025年度売上収益 6,000億円以上を目指す」ことや、「2030年までに第一三共は、がんに強みを持ち、複数のがん種におけるADCリーダー、そしてグローバル・イノベーターとなる」との目標が高々と掲げられました。
参考: 2020.05.16記事 第一三共の知的財産活動の景色(2019)

Enhertu®の米国売上は、2020年度は2.43億ドルであり、2021年度は4億ドルを見込んでいます(第一三共 2021年度第3四半期決算補足資料(2022.01.31発表)より)。
2.Seagen社のADC技術に関する’039 特許
Seagen社が保有するADC技術に関する米国特許10,808,039(以下「’039 特許」)は、Enhertu®が米国で販売された後の2020年10月20日に登録されました。
特許となったクレームは、特定のリンカーを介して抗体と薬物を結合させた抗体薬物複合体(antibody-drug conjugate: ADC)に関する発明です。
Seagen社は、この出願をEnhertu®と関係のないクレームで継続出願と登録でつないできていましたが、第一三共とAstraZeneca社との契約発表(2019年3月)を見たからでしょうか、2019年7月にはじめてEnhertu®の有効成分であるトラスツズマブ デルクステカンのリンカー部分に合わせ、それを包含するクレームの継続出願にチャレンジしてきました。
そして、特許許可通知を受け、その3日後に登録料を支払い、2020年10月20日に、’039特許の登録に漕ぎつけました。
既に、Enhertu®が米国で承認された2019年12月から約10カ月が経っていました。
3.Seagen社のADC特許と第一三共「Enhertu®」を巡る米国特許侵害訴訟
Seagen社は、第一三共による米国でのEnhertu®の販売行為が、Seagen社が保有するADC技術に関する米国特許(’039 特許)を侵害していると主張して、2020年10月19日に米国テキサス州東部地区連邦地方裁判所に提訴していました(No.2:20-cv-00337 (E.D.Tex.))。
参考: 2020.11.03 記事 Seagen社(旧Seattle Genetics社)が第一三共による米国でのエンハーツ(ENHERTU)の販売等を特許侵害で提訴

この米国特許侵害訴訟において、2022年4月8日(現地時間)、同裁判所の陪審員は、Seagen社の主張を認め、第一三共による米国でのEnhertu®の販売行為が’039 特許の侵害に当たると評決しました。
両社のプレスリリースによると、概要は以下のとおりです。
- 陪審員は、陪審審理に至るまでの期間のSeagen社の損害額が41,820,000ドルであると判断し、’039特許の故意侵害があったと認定した。
- Seagen社は、2024年11月の’039特許の期間満了まで、米国におけるEnhertu®の将来売上に対するロイヤルティの支払命令を出すよう裁判所に請求している。
- 裁判所は、当該ロイヤルティに関するSeagen社の請求および陪審員による故意侵害の認定を考慮した損害賠償額の引き上げの有無については、まだ判断していない。
Seagen社は、これらの支払額の裁判所の決定は今年末に見込まれる、とプレスリリースで伝えています。
4.Seagen社の’039特許に対して特許付与後レビューの開始が決定
一方で、2020年12月23日、第一三共は、Seagen社の‘039特許が無効であるとして米国特許商標庁に2件の特許付与後レビュー(Post Grant Review、以下「PGR」)の開始を請求していました(PGR2021-00030, PGR2021-00042)。
米国特許商標庁の特許審判部(PTAB)は、PTABの結果とテキサス州東部地区連邦地方裁判所での結果が矛盾する可能性があるため、当初、これらのPGRの開始請求を認めない決定を下していましたが、リヒアリングの請願を受け入れ、2022年4月7日、’039特許の有効性を審査するため、これらのPGRの開始を決定したようです。
今後、’039特許の有効性が、PTABで判断されることになります。
5.ADC技術の帰属を巡る仲裁
特許侵害訴訟やPGRでの争いとは別に、Seagen社と第一三共との間では、第一三共がEnhertu®の有効成分であるトラスツズマブ デルクステカンおよび他のいくつかの医薬品候補に使用した特定のADC技術の帰属を巡って仲裁が進行中です(American Arbitration Association Case No. 01-19-004-0115 (Brown, Arb.); 2019.11.12 Seattle Genetics, Inc. press release: Seattle Genetics Submits Arbitration Demand Against Daiichi Sankyo Over Technology Ownership)。
参考: 2019.11.05記事 第一三共がADC技術の帰属を巡り訴訟提起

第一三共の2019年11月5日付プレスリリース(「当社の抗体薬物複合体(ADC)技術に関する訴訟の提起について」)によると、第一三共は、2008年7月から2015年6月にかけて抗体薬物複合体(ADC)の共同研究をSeattle Genetics, Inc.(現・Seagen社)と実施していました。
そして、Enhertu®の有効成分であるトラスツズマブ デルクステカン(DS-8201a)の臨床試験、例えば、
- “固形癌患者を対象としたDS-8201aの第I相試験”(JapicCTI-152978)は2015年7月31日に初回登録
- “Study of DS-8201a in Subjects With Advanced Solid Malignant Tumors”(ClinicalTrials.gov Identifier: NCT02564900)は2015年9月に開始
となっていたようです。
この仲裁において、Seagen社は、これらのADCに使用されているリンカーおよびその他のADC技術は、Seagen社の先駆的なADC技術の改良であり、その帰属は2008年の第一三共とSeagen社との共同研究契約に基づきSeagen社に自動的に譲渡されると主張しています。
第一三共とSeattle Genetics, Inc.(現・Seagen社)が締結した共同研究契約は以下で参照できます。
- Seattle Genetics, Inc. SEC Filing 11/07/2008 Form10-Q Quarterly Report Exhibit 10.2 Collaboration Agreement dated July 2, 2008 between Seattle Genetics, Inc. and Daiichi Sankyo Co., Ltd.

Seattle Genetics, Inc. SEC Filing 11/07/2008 Form10-Q Quarterly Report Exhibit 10.2 Collaboration Agreement dated July 2, 2008 between Seattle Genetics, Inc. and Daiichi Sankyo Co., Ltd.より
この仲裁の決定は、2022年半ばまでに下されると見込まれています。
6.今後
第一三共は、今回の陪審評決に承服できないとして、PGRの手続きに加え、陪審評決について陪審審理後の申し立てや控訴を含むあらゆる選択肢を検討していくと発表しています。
一方、Seagen社はこれらPGRにおいて、’039特許をしっかりと防衛していくと発表しています。
今後も両社間の争いはしばらく続きそうです。
両社間の争いは、侵害を争っている裁判所での審理、特許の有効性を争っている特許審判部(PTAB)での審理、発明の帰属を争っている仲裁機関(AAA)での審理、という3つが同時に進行しています。
まずは、今年半ばに見込まれる仲裁の決定か、それとも今年後半に見込まれる特許侵害訴訟におけるロイヤルティや故意侵害による支払額の決定か、または、’039特許が無効か否かが判断されるPGRの決定(1年後)が明らかになったときか・・・。いずれもが、両社間の争いの行方を占う次の大きな山場となりそうです。
陪審員が認定した損害額41,820,000ドル(約50億円)は、’039特許が登録(2020年10月20日)されてからの米国売上累計約5千万ドル(第一三共決算資料エンハーツ(米)売上2020Q3~2021Q4(予測)より推定)の約8%に相当します。
故意侵害と認定されたことから、その賠償額は最大3倍まで跳ね上がるかもしれません。
また、米国におけるEnhertu®の将来売上に対するロイヤルティの支払い額は今後審理されるわけですが、賠償額に倣って売上の8%となれば、今後のエンハーツからの収益にも一定のインパクトとなります。
但し、それも’039特許が満了する2024年11月までの辛抱であり、販売は差止められていないことから、侵害訴訟に限っていえば、第一三共にとって不利な陪審評決となったとはいえ、今後起こるワーストケースシナリオはある程度予測可能なものといえるでしょう。控訴やPGR等で対抗することでそのシナリオからどれだけポジティブな方向に転換できるかが今後の見どころと思われます。
しかし、さらに大きなリスクは、Enhertu®の有効成分であるトラスツズマブ デルクステカンおよび他のいくつかの医薬品候補に使用した特定のADC技術の帰属を巡る問題です。
Seagen社に帰属するとの仲裁判断となれば、第一三共は(AstraZeneca社も)、Enhertu®や他のADCに対しても、Seagen社からのライセンスを得なければならない事態となる可能性があります。
仮にそうなれば、第一三共は、少なくとも、さらにSeagen社に対してEnhertu®や他のADCに対しても実施料等を長期にわたって支払い続ける必要がでてくるのかもしれません。
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