レミッチ®(ナルフラフィン)の医薬用途特許の進歩性。裁判所は、公知文献の仮説や推論が動機付けを基礎づける場合はあるが、本件においては、技術的な裏付けの乏しい一つの仮説にすぎないものであり、「止痒剤」用途を動機付けるとは認められない、と判断した。
1.はじめに
本件(知財高裁令和2年(行ケ)10041)は、東レの「止痒剤」に関する特許(第3531170号)に対して沢井製薬が請求した無効審判(無効2019-800038号)について、請求不成立とした審決の取消訴訟である。争点は、進歩性の認定判断の誤りの有無である。
本件特許(第3531170号)に係る特許権は東レが製造販売している経口そう痒症改善剤レミッチ®を保護する。本件特許に関して、本件訴訟とは別に、その特許権の延長登録出願の拒絶・登録の無効を争う4つの事件が存在し、さらに、東レは沢井製薬に対して特許権侵害訴訟を提起しており、延長出願の登録要件や延長された特許権の効力についての裁判所による判断が注目される。
本件訴訟は、本件特許を巡る先発メーカー(東レ)と後発メーカー(沢井)との間で起きているそれら特許紛争を構成する一事件である。
(1)本件特許(第3531170号)
【発明の名称】止痒剤
【特許番号】特許第3531170号
【登録日】2004.03.12
【出願番号】特願平10-524506
【出願日】1997.11.21
【優先日】1996.11.25
【特許権者】東レ株式会社
【請求項1】下記一般式(I)
[式中、・・・(省略)・・・]で表されるオピオイドκ受容体作動性化合物を有効成分とする止痒剤。
【存続期間満了日】本件特許に係る特許権は2017年11月21日が20年の存続期間満了日であるが、期間延長出願(特願2015-700061、特願2017-700154、特願2017-700309、特願2017-700310)により権利は存続している。
【製品】東レが製造販売する経口そう痒症改善剤レミッチ®(一般名: ナルフラフィン塩酸塩)を保護する。
(2)甲1発明
本件審決において、引用例である甲1(特許第2525552号)には、以下の発明が記載されていると認められた。
「17-シクロプロピルメチル-3,14β-ジヒドロキシ- 4,5α-エポキシ-6β-[N-メチル-トランス-3-(3-フリル)アクリルアミド]モルヒナンであって、構造式
で表される化合物。」(化合物A[⼀般名「ナルフラフィン」])
(3)本件発明1と甲1発明の対比
本件審決において、本件発明1と甲1発明との間には以下の一致点及び相違点があると認められた。
(一致点)
「17-シクロプロピルメチル-3,14β-ジヒドロキシ-4,5α-エポキシ-6β-[N-メチル-トランス-3-(3-フリル)アクリルアミド]モルヒナンであって、構造式︓
で表される化合物」(化合物A)に係るものである点。
(相違点1)
本件発明1では、化合物Aがオピオイドκ受容体作動性であるとされているのに対し、甲1発明では、そのような特定がされていない点。
(相違点2)
本件発明1は、化合物Aを有効成分とする止痒剤であるのに対し、甲1発明は、化合物Aをそのような用途とするものではない点。
(4)本件審決の判断
審決は、本件発明1は甲1(特許第2525552号)に記載された発明及び他の引用文献から把握できる本件優先日当時の技術常識・周知技術に基づいて、本件優先日前に当業者が容易に発明することができたものとはいえないと判断した。
2.裁判所の判断
裁判所は、本件審決が認定したとおり、甲1には甲1発明が記載されていること及び甲1発明と本件発明1との一致点及び相違点があるものと認めたうえで、相違点2における以下の二つの動機付けについて検討した結果、甲1発明を止痒剤として用いることを動機付けられると認めることはできないから、当業者が本件発明1を想到することが容易であったということはできないと判断し、原告の請求を棄却した。
- 甲1の「鎮痛剤」と「鎮静剤」の用途からの動機付けについて
- ボンベシン誘発グルーミング・引っかき行動との関係での動機付けについて
以下に、それぞれの動機付けの判断についての裁判所の判断を抜粋する。
(1)甲1の「鎮痛剤」と「鎮静剤」の用途からの動機付けについて
鎮痛・鎮痛(*)と止痒との間に原告が主張するような強い技術的関連性や課題・作用効果の共通性といったものがあるとは認められないから,当業者が,本件優先日当時に甲1に甲22,23などから認定できる知見を適用して,甲1の化合物Aを止痒に用いることを容易に想到することができるとはいえないというべきである。
・・・以上からすると,甲1の「鎮痛剤」・「鎮静剤」の用途から,当業者が,甲22,23などから認定できる知見を適用して,甲1の化合物Aを止痒剤として用いることが動機付けられるとは認められない。
* 判決文では「鎮痛・鎮痛」であるが、正しくは「鎮静・鎮痛」であると思われる。
(2)ボンベシン誘発グルーミング・引っかき行動との関係での動機付けについて
(ア)ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動に関する本件優先日当時の知見について
前記・・・の各記載からすると,本件優先日当時までに,Cowanらは,ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動と痒みの間には関連性があることを提唱していたものと認められる。
しかし,これらの証拠によっても,本件優先日当時,Cowanらが,ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動と痒みには関連性があることを実験等により実証していたとは認められないし,また,その作用機序等も説明していない。
・・・からすると,本件優先日当時,ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動と痒みの間に関連性があるということは,技術的な裏付けがない,Cowanらの提唱する一つの仮説にすぎないものであったと認められる。
(イ)オピオイドκ受容体作動性化合物とボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動との関係について
前記・・・の記載及び弁論の全趣旨を総合すると,上記のボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動を減弱するオピオイドκ受容体作動性化合物の基本構造は,それぞれ異なっており,エチルケタゾシンはベンゾモルファン骨格,チフルアドムはベンゾジアゼピン骨格,U-50488及びエナドリンはアリールアセトアミド構造をそれぞれ有しており,甲1発明の化合物Aとはそれぞれ化学構造(骨格)を異にするものであった。そして,前記ア(ク)のとおり,化学構造の僅かな違いは,薬理学的特性に重大な影響を及ぼし得るものである。
以上からすると,本件優先日当時,オピオイドκ受容体作動性化合物が,ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動を抑制する可能性が,Cowanらによって提唱されていたものの,甲1の化合物Aがボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動を減弱するかどうかについては,実験によって明らかにしてみないと分からない状態であったと認められる上,上記(ア)のとおり,ボンベシンが誘発するグルーミング・引っ掻き行動の作用機序が不明であったことも踏まえると,なお研究の余地が大いに残されている状況であったと認められる。
(ウ)上記(ア), (イ)を踏まえて判断するに
前記・・・のとおり,本件優先日当時,Cowanらは,①ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動が,痒みによって引き起こされているものであるという前提に立った上で,②オピオイドκ受容体作動性化合物のうちのいくつかのものが,ボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動を減弱することを明らかにしていた。
しかし,上記①の点については,上記(ア)のとおり,技術的裏付けの乏しい一つの仮説にすぎないものであった。
上記②の点についても,上記(イ)のとおり,本件優先日当時において研究の余地が大いに残されていた。
そうすると,本件優先日当時,当業者が,Cowanらの研究に基づいて,オピオイドκ受容体作動性化合物が止痒剤として使用できる可能性があることから,甲1発明の化合物Aを止痒剤として用いることを動機付られると認めることはできないというべきである。
・・・以上からすると,当業者が,甲1発明に甲2~9,12などから認定できる一連のボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動とオピオイドκ受容体作動性化合物に関する知見を適用し,本件発明1を想到することが容易であったということはできないというべきであり,取消事由1は理由がない。
(エ)原告の主張について
原告は,これまで認定判断してきたところに加え,①本件審決は,技術常識が存在しないことから直ちに動機付けを否定してしまっており,公知文献から認められる仮説や推論からの動機付けについて検討しておらず,裁判例に照らしても誤りである,②甲63によると,ダイノルフィンAと同じオピオイドκ作動作用を持つ化合物は,痒みや痛みを抑制することが容易に予測でき,甲1の化合物Aを使用して止痒剤としての効果を奏するかを確認してみようという動機付けも肯定できると主張する。
しかし,上記①について,仮説や推論であっても,それらが動機付けを基礎付けるものとなる場合があるといえるが,本件においては,Cowanらの研究に基づいて,甲1発明の化合物Aを止痒剤として用いることが動機付けられるとは認められないことは,前記イで認定判断したとおりであり,原告が指摘する各裁判例もこの判断を左右するものとはいえず,原告の上記①の主張は採用することができない。
上記②について,本件明細書には,前記1(1)イのとおり,甲63にダイノルフィンと共に挙げられているエンドルフィン,エンケファリン(前記ア(サ))が,痒みを惹起することが記載されている上,前記ア(サ)のとおり,甲63が,痒みと痛みの関係は明確ではなく,研究を更に行わなければならないと結論付けているところからすると,甲63の記載が,ダイノルフィン,エンドルフィン,エンケファリン等の内因性オピオイドが,止痒剤の用途を有することを示唆するものであるとは認められず,甲63の記載から,当業者が,甲1の化合物Aについて,止痒剤としての効果を奏するかを確認することを動機付けられるとは認められない。
3.コメント
(1)技術的な裏付けの乏しい一つの仮説の引用例としての適格性
裁判所は、進歩性の動機付けについて、
「仮説や推論であっても、それらが動機付けを基礎づけるものとなる場合はあるといえる」
との一般論に言及しつつも、
本件においては、
-
- オピオイドκ受容体作動性化合物がボンベシン誘発グルーミング・引っ掻き行動を抑制する可能性
- それら行動と「痒み」との間には関連性があること
がCowanらによって提唱されていたものの、
それら行動と「痒み」との間の関連性は、「技術的な裏付けの乏しい一つの仮説にすぎないもの」であるから、
甲1発明の(オピオイドκ受容体作動性である)化合物Aを「止痒剤」として用いることを動機付られると認めることはできない
と判断した。
医薬用途発明の進歩性判断において、引用された文献に記述された内容が「技術的な裏付けの乏しい一つの仮説にすぎない」ものであるかどうかは、その「用途」に用いることへの動機付けとなるかどうかを大きく左右する。
引用文献に何が記載されていて、記載されていることに信憑性・合理性があるのか、といったことは常に検討されなければならない。引用文献に記載された内容には満足いく技術的な裏付けがあるのかそれとも乏しいのかは、その技術分野によって異なるだろうが、その裏付けを補強する(または否定する)ための証拠資料をどれだけ積み上げられるかが勝敗の分かれ目になる。
本件では、ごく一部の研究グループのみの文献しかなく、しかも実験による裏付けとなる記載も乏しかったようである。
(2)原告の主張「仮に科学的根拠のない仮説・推論にすぎないものであったとしても、引用例としての適格性に問題はない」
原告は、「引用例は一定の技術的思想が記載されていればよく,それが仮に科学的根拠のない仮説・推論にすぎないものであったとしても,引用例としての適格性に問題はない。」と主張した。
しかし、裁判所は、この原告の主張に対して、「仮説や推論であっても,それらが動機付けを基礎付けるものとなる場合があるといえるが,本件においては,Cowanらの研究に基づいて,甲1発明の化合物Aを止痒剤として用いることが動機付けられるとは認められないことは,前記イで認定判断したとおりであり,原告が指摘する各裁判例もこの判断を左右するものとはいえず,原告の上記・・・主張は採用することができない。」と判断した。
参考のため、原告が上記主張において引用した裁判例を以下に列挙する。
- 東京高裁平成元年11月28日判決[昭和63年(行ケ)第275号]
- 知財高裁平成14年12月26日判決[平成12年(行ケ)第404号]
- 知財高裁平成18年6月7日判決[平成17年(行ケ)第10605号]
- 知財高裁平成20年6月4日判決[平成19年(行ケ)第10269号]
- 知財高裁平成22年8月31日判決[平成22年(行ケ)第10001号]
過去記事: 2010.08.31 「レ ラボラトワール セルヴィエ v. 特許庁長官」知財高裁平成22年(行ケ)10001 ・・・「当業者であれば,引用例Aに具体的な実施例の記載がなくても,その持続放出性という機能が示されていることを合理的に理解することができる」
- 知財高裁平成26年7月30日判決[平成25年(行ケ)第10058号]
過去記事: 2014.07.30 「X v. アルコン リサーチ, 協和発酵キリン」 知財高裁平成25年(行ケ)10058・・・「甲4には,化合物20(「化合物A」に相当)を含む一般式で表される化合物(I)及びその薬理上許容される塩のPCA抑制作用について,「PCA抑制作用は皮膚肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーターの遊離の抑制作用に基づくものと考えられ」るとの記載がある。この記載は,ヒスタミン遊離抑制作用を確認した実験に基づく記載ではないものの,化合物20(「化合物A」に相当)を含む一般式で表される化合物(I)の薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどのケミカルメディエーター(化学伝達物質)の遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり,その仮説を検証するために,化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。」
4.経口そう痒症改善剤レミッチ®について
本件特許(第3531170号)に係る特許権が保護するレミッチ®カプセル2.5μg及びレミッチ®OD錠2.5μgは、1992年に東レで創製されたオピオイドκ受容体選択的作動薬であるナルフラフィン塩酸塩を含有する透析患者及び慢性肝疾患患者における経口そう痒症改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)剤である。製造承認ヒストリーは以下のとおり。
レミッチカプセル2.5μgについて、
- 2009年1月21日、「血液透析患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)」の効能又は効果について製造販売承認。
- 2015年5月20日、「慢性肝疾患患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)」の効能又は効果について追加承認。
レミッチOD錠2.5μgについて、2017年3月30日、製造販売承認。
レミッチカプセル2.5μg及びレミッチOD錠2.5μgについて、2017年9月22日、「腹膜透析患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)」に対する有用性が認められ、既承認の効能又は効果と合わせて「次の患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)透析患者、慢性肝疾患患者」として追加承認。
再審査期間は以下のとおり既に終了している。
- 血液透析患者におけるそう痒症 8 年:2009年1月21日~2017年1月20日(終了)
- 慢性肝疾患患者におけるそう痒症:2015年5月20日~2018年12月25日(終了)
5.おわりに
本件特許3531170号に関しては、本件(下記1)含む5つの審決取消訴訟判決が同日に言渡されている(知財高裁ウエブサイト「審決取消等訴訟(特許・実用新案)係属中事件一覧表/終局事件一覧表」より)。
下記訴訟(2~5)では、本件特許に係る特許権の延長登録出願の拒絶・登録の無効が争われている。
1.令和2年(行ケ)10041(本件):特許3531170号には進歩性欠如の無効理由があると主張して沢井製薬が請求した無効審判(無効2019-800038号事件)を請求不成立とした審決取消訴訟。
2.令和2年(行ケ)10063:特許3531170号の下記処分(承認)に基づく延長登録出願(2017-700154)の拒絶審決(不服2018-007539)取消訴訟。
(1)処分の対象となった物
販売名 レミッチOD錠2.5μg
有効成分 ナルフラフィン塩酸塩
(2)処分の対象となった物について特定された用途
次の患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)
血液透析患者、慢性肝疾患患者
3.令和2年(行ケ)10096:特許3531170号の下記処分(承認)に基づく延長登録(2015-700061)の無効審決(無効2020-800002号事件)取消訴訟。
(1)処分の対象となった医薬品
販売名 ノピコールカプセル2.5μg
有効成分 ナルフラフィン塩酸塩
(2)処分の対象となった医薬品について特定された用途
慢性肝疾患患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)
4.令和2年(行ケ)10097:特許3531170号の下記処分(承認)に基づく延長登録(2017-700309)の無効審決(無効2020-800003号事件)取消訴訟。
(1)処分の対象となった医薬品
販売名 レミッチカプセル2.5μg
有効成分 ナルフラフィン塩酸塩
(2)処分の対象となった医薬品について特定された用途
次の患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)
透析患者(血液透析患者を除く)、慢性肝疾患患者
5.令和2年(行ケ)10098:特許3531170号の下記処分(承認)に基づく延長登録(2017-700310)の無効審決(無効2020-800004号事件)取消訴訟。
(1)処分の対象となった医薬品
販売名 レミッチOD錠2.5μg
有効成分 ナルフラフィン塩酸塩
(2)処分の対象となった医薬品について特定された用途
次の患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る)
透析患者(血液透析患者を除く)、慢性肝疾患患者
上記訴訟(3、4、5)に関連する過去記事:
また、2018年6月よりレミッチ®の後発医薬品である「ナルフラフィン塩酸塩OD錠2.5μg「サワイ」」の製造販売を開始した沢井製薬に対して東レは特許権侵害訴訟を提起している(下記過去記事参照)。すなわち延長された特許権(医薬用途発明)の行使を争う事件であり、まだ判決例の少ない延長された特許権の効力についての裁判所による判断がどうなるのか注目される。
- 2019.10.20 レミッチ®用途特許に対するジェネリックメーカーの動き
- 2018.12.12 東レがレミッチ®OD錠後発品を販売する沢井・扶桑を特許侵害で提訴
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