Summary
知財高裁は2026年8月10日、発明の名称を「眼内インプラント用の細胞増殖抑制性コポリマ」とする特許出願(特願2019-569356号)について、特許庁の拒絶査定不服審判の不成立審決を維持し、原告の請求を棄却した。争点は、特許法36条6項1号のサポート要件である。
本願発明は、眼内インプラントに使用するポリマに、細胞増殖抑制性材料として第4級アンモニウム系塩モノマを共重合させ、インプラント表面に存在する細胞の増殖を抑制しようとするものであり、そのポリマとしてアクリル、シリコーン、ビニル、コラーゲンという広い材料群を包含する構成を有するものであった。一方、米国では具体的な疎水性アクリル系ポリマ、欧州では具体的な親水性アクリル系ポリマへと限定され、特許が成立している。
また、本願に先行する出願ファミリーでは、本願と共通する5種類の第4級アンモニウム系モノマが抗菌性材料として扱われていた。
このように本願の周辺を読み解くと、「なぜ日米欧でクレームの着地点が違うのか」「なぜ既に抗菌用途で扱われていた材料について、改めて細胞増殖抑制という機能をクレーム化したのか」という興味深い問いが浮かび上がってくる。
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ピポせんぱ~い。今度、白内障の手術をするって本当ですか?

うむ。目の中のレンズが曇ってきたから、そろそろ交換しようと思ってね。ところで、白内障手術で使われる眼内レンズ、最初は何からできていたか知ってるかい?

えっ、まさかガラス?

惜しい! PMMA(ポリメチルメタクリレート)っていうアクリル系の透明な樹脂なんだ。第二次世界大戦中、撃墜されたパイロットの眼の外傷を治療していた眼科医が、パイロットの眼に入り込んだ航空機のキャノピーの破片が、意外にも強い炎症を起こさないことに気づいたんだって。そこで、『これ、人工の水晶体に使えるんじゃない?』と考えたのが、現在の眼内レンズにつながったといわれているんだ。

へ~。飛行機のキャノピーの材料が、眼内レンズに使われるようになったんですね……。じゃあ、眼内レンズの歴史って、材料の歴史でもあるんですね!

そう。最初は硬いPMMA製だったけど、その後、シリコーンなどの軟らかい材料が登場して、さらに現在主流の軟質アクリル系材料へと発展してきたんだ。さて、そんなアクリル系の材料に、次はどんな“仕事”をさせようか……っていうのが、今回のお話なんだ。

なるほど! アクリル系の眼内レンズ材料に、細胞の増殖を抑える機能を持たせようとした、という話ですね!
1.背景
本願(特願2019-569356号)は、発明の名称を「眼内インプラント用の細胞増殖抑制性コポリマ」とするものである。優先権主張日は2017年6月16日及び2018年1月31日であり、米国出願を基礎としている。
本願について拒絶査定がされたため、出願人は拒絶査定不服審判を請求した。しかし、特許庁は2025年6月20日、請求不成立の審決をした。これに対して出願人が審決取消訴訟を提起したのが本件(知財高裁令和7年(行ケ)10103)である。
本件の争点は、特許法36条6項1号のサポート要件である。
本願が対象とするのは、眼内レンズ、緑内障バルブ、人工角膜などの眼内インプラントに使用するポリマである。
本件明細書の記載によると、眼内インプラントでは、手術後にインプラント周囲で細胞が増殖することがあり、それがインプラントの機能低下や視力低下につながる場合がある。例えば眼内レンズでは、白内障手術後に残存した水晶体上皮細胞が増殖して後嚢混濁を生じることが知られている。そのような背景から、「眼内インプラント手術後の細胞増殖を減らすための改良された新規の方法が必要とされてい(た)」(本件明細書【発明が解決しようとする課題】より)。
本願発明(特許請求の範囲の請求項1)の中心となるのが、第4級アンモニウム系塩モノマである。具体的には、MDPB、DMAE-CB、MAE-DB、MAE-HB、IDMA-1という5種類が挙げられている。これらをアクリル、シリコーン、ビニル及び/又はコラーゲン系モノマと共重合させることにより、眼内インプラント用の細胞増殖抑制性ポリマを構成する。
眼内インプラント用の細胞増殖抑制性ポリマであって、
少なくとも1種の細胞増殖抑制性モノマと、
アクリルモノマ、シリコーンモノマ、ビニルモノマ、および/またはコラーゲンモノマから選択される少なくとも1種の他のモノマと、
が共重合されることにより得られ、
前記少なくとも1種の細胞増殖抑制性モノマは、第4級アンモニウム系塩モノマであり、
前記第4級アンモニウム系塩モノマは、メタクリロイルオキシドデシルピリジニウムブロミド(MDPB)、メタクリルオキシエチルセチルアンモニウムクロリド(DMAE-CB)、2-メタクリルオキシエチルドデシルメチルアンモニウムブロミド(MAE-DB)、2-メタクリルオキシエチルヘキサデシルメチルアンモニウムブロミド(MAE-HB)、および/またはビス(2-メタクリルオキシエチル)ジメチルアンモニウムブロミド(IDMA-1)から選択されて、
前記眼内インプラントの表面に存在する、生物が元来有している細胞の増殖が抑制される、
ことを特徴とする細胞増殖抑制性ポリマ。
2.裁判所の判断
知的財産高等裁判所第4部(以下「裁判所」)は2026年8月10日、原告の請求を棄却した。争点は、特許法36条6項1号のサポート要件である。
原告は、本願発明は、①作用機序(第4級アンモニウム基の正電荷と細胞膜の負電荷との静電的相互作用)が明確で技術常識として確立しており、②本願発明における5種の細胞増殖抑制性モノマは、この作用機序を決定する本質的構造要素であるカチオン性中心を共通に有しており、③眼内細胞も他の哺乳動物細胞と同様に負電荷を帯びた細胞膜を有することが技術常識であり、④上記モノマをポリマに固定しても作用機序が発現することが技術常識であり、これらの技術常識を総合すれば、当業者は、眼内細胞に対する個別の実験データがなくとも、本願発明により課題が解決されると合理的に認識できると主張した。
しかし、裁判所はこの主張を採用しなかった。
裁判所は、仮に原告が主張する技術常識を認めたとしても、それによって認識できるのは「第4級アンモニウム基を有する化合物が哺乳動物細胞の増殖を抑制する作用機序を発現するということ」にとどまり、本願発明のポリマが眼内インプラント手術後の細胞増殖を抑制することまで認識できるとはいえない、と判断した。
その理由として裁判所がまず指摘したのが、第4級アンモニウム系化合物の構造と細胞に対する作用との関係である。裁判所は、「第4級アンモニウム系化合物の細胞に対する作用は、カチオン性中心の構造を有するというだけで決定されるものでなく、疎水性の構造やエステル構造などの影響も受ける」とした。さらに、細胞の種類によって細胞膜の組成等が異なるため、第4級アンモニウム系化合物に対する感受性も様々であると指摘した。
さらに裁判所は、「特定の第4級アンモニウム系塩モノマが他のモノマと共重合された場合には、遊離状態のモノマとは異なりポリマに固定化され、ポリマ表面に存在するもののみが細胞に対して作用を及ぼし得ることなどから、細胞に対する作用がどの程度となるかは実験的に確認されることがなければ予測することはできない」と判断した。
その結果、裁判所は、原告の主張する技術常識を総合したとしても、当業者が、本願発明の構成を採用することにより課題が解決されると認識できると認めることはできない、と判断した。
3.コメント
判決だけを読むと、本件は、明細書に実験結果の記載がなく、その他の記載や技術常識だけではクレーム範囲について課題が解決されると認識することはできない、とされた一事件である。しかし、対応する欧米出願ファミリーや先行する別ファミリーまで確認すると、「なぜ日米欧でクレームの着地点が違うのか」「なぜ既に抗菌用途で扱われていた材料について、改めて細胞増殖抑制という機能をクレーム化したのか」という興味深い問いが浮かび上がってくる。
(1)なぜ日米欧でクレームの着地点が違うのか
同じ出願ファミリーについて、日本、米国、欧州では、最終的な権利化の状況とクレームのフォーカスが大きく異なっている。
日本で審判・訴訟の対象となったのは、2025年1月15日付補正後の請求項1であり、細胞増殖抑制性モノマとして5種類の第4級アンモニウム系塩モノマを包含するとともに、共重合させる「他のモノマ」としてアクリル、シリコーン、ビニル及び/又はコラーゲンという広い群範囲を包含するものであった。これに対し、裁判所は、この広い範囲について、明細書の記載及び出願時の技術常識から当業者が課題解決を認識できるとはいえないとして、サポート要件違反と判断した。
一方、米国では、共重合させる「他のモノマ」を、phenylethyl acrylate、phenylethyl methacrylate及びbutanediol diacrylateという具体的な疎水性アクリル系材料に限定して登録に至っている(US11,185,609B2のclaim 1)。しかも、これらの「他のモノマ」どうしの組合せは明細書にAcrySof眼内レンズの材料として具体的に記載されている。
これに対して欧州では、「他のモノマ」を、2-hydroxyethyl methacrylateと2-ethoxyethyl methacrylate、及び/又は2-hydroxyethyl methacrylateとmethyl methacrylateという親水性アクリル系材料に限定して登録に至っている(EP3639066B1のclaim 1)。明細書には、これらに対応する材料としてBenz IOL 125やBenzFlex 26などが具体的に記載されている。
したがって、同じ明細書を基礎とする出願ファミリーでありながら、米国では疎水性アクリル、欧州では親水性アクリルという異なる材料領域にクレームが成立している一方、日本では、より広い材料群を包含するクレームについてサポート要件違反と判断された、という対比が生じている。
しかし、米国と欧州も、最初からこのような狭い発明を出願していたわけではない。本件明細書には、疎水性アクリルの採用例としてAcrySof、Tecnis、HOYA AF-1、HI56、Benz HF-1.2、Benz HF-2、親水性アクリルの採用例としてCI26、MICS22、CI18、Benz IOL 125、BenzFlex 26など、実際の眼内レンズに用いられる具体的な材料が列挙されている。
このことから、少なくとも明細書の段階では、既存の眼内レンズ材料を広く視野に入れ、それらの材料に細胞増殖抑制性モノマを共重合させるという発明概念が提示されていたことが分かる。最終的なクレームは、その広い発明概念の中から、各国の審査経過を経て異なる材料領域に収束した形になっている。
米国と欧州では、最終的なクレームの着地点だけでなく、そこに至った経緯も異なっている。
米国では、審査官がSatake、Nakatsuka、Higgsらを引用し、102条及び103条に基づいて具体的な拒絶理由を提示した。特に、Higgsがphenylethyl acrylate、phenylethyl methacrylate及びbutanediol diacrylateからなる疎水性アクリル系材料を開示している一方、そこに第4級アンモニウム系モノマを組み合わせることについても先行技術から示唆されるとして、当初のクレームを拒絶している。
その一方で、審査官は、methacryloyloxy dodecylpyridinium(MDPB)とphenylethyl acrylate、phenylethyl methacrylate及びbutanediol diacrylateとの組合せについては、先行技術から示唆されないとして、許容可能なsubject matterであることを明示した。
したがって、米国で最終的に疎水性アクリルのクレームが形成されたことは、単なる出願人の自発的な限定というよりも、審査官が提示した先行技術との関係で特許可能な範囲を探った結果とみるのが適切かもしれない。もっとも、どのspeciesを審査対象として選択するかについては、出願人自身が「election without traverse」により選択しており、その意味では、最終的なクレーム形成には出願人側の戦略的判断も介在している。
これに対し、欧州では、審査経過上、親水性アクリルへの限定は、審査官からこの材料への限定を直接要求された結果というよりも、複数の発明に分かれるとの単一性の指摘を受けた出願人が、そのうちの発明を選択して審査を進める中で行った補正という性格が強い。
このように見ると、米国の「疎水性アクリル」と欧州の「親水性アクリル」という異なる着地点は、単純に「米国と欧州では審査が違う」というだけでは説明できない。各国で提示された審査上の問題に対して、出願人がどのようなクレーム戦略で応答したかの違いが、最終的な権利範囲の違いにつながったと見る方が適切であろう。
では、出願人は、なぜ米国では疎水性アクリルに、欧州では親水性アクリルにクレームを収束させたのだろうか。
この違いは、既存の具体的な市場構造を踏まえると、さらに興味深い。
本願の出願人・発明者であるYichieh Shiuey氏は、KeraMed Inc.のFounder, President and CEOであり、同社は眼科用デバイス・インプラントを開発している。
このような同社の事業背景を踏まえると、本願ファミリーが、既存の眼科用材料に「細胞増殖抑制」という機能を付加する形で権利化を試みていることには、単なる材料発明にとどまらず、眼科用デバイス市場における材料技術のポジショニングという側面も読み取ることができる。
米欧間の眼内レンズ市場の違いをみると、疎水性アクリル系材料を用いた眼内レンズは北米を含む主要市場で広く普及している一方、欧州市場では同系材料を用いた眼内レンズが大きなシェアを占めるものの、親水性アクリル系材料を用いた眼内レンズも一定程度使用され、複数メーカーが製品を供給しているとされる(参考資料1、参考資料2、参考資料3)。
こうした市場構造を踏まえると、同じ材料プラットフォームについて、各市場で使用されている眼内レンズ材料を包括的又は具体的にクレームすることには、単なる技術的な権利化にとどまらず、市場に応じた眼内レンズメーカーとの協業の可能性や、交渉上のポジションを確保するという意味もあったのではないか、と想像することができる。特に、米国では疎水性アクリル系、欧州では親水性アクリル系という異なる材料領域に最終的なクレームが成立していることは、このような観点から見ると興味深い。
(2)なぜ「抗菌」と「細胞増殖抑制」なのか
本件をさらに興味深くしているのが、同じ第4級アンモニウム系モノマを含む材料について、「抗菌」と「細胞増殖抑制」という異なる生物学的機能を切り口とする複数の特許ファミリーが形成されていることである。
本願に先行する2016年9月8日を優先日とするファミリーには、「Antimicrobial polymer for use in ophthalmic implants」という発明がある。国際出願はPCT/US2017/050401(WO2018/048982A1)であり、日本では特許第7279938号として登録さている。このファミリーでは、MDPB、DMAE-CB、MAE-DB、MAE-HB及びIDMA-1という、本願でも挙げられている5種類の第4級アンモニウム系塩モノマが、「抗菌性」ポリマの候補として明細書に明示されている。
一方、本願は2017年6月16日を第1優先日、2018年1月31日を第2優先日とし、同じ5種類のモノマを、今度は「細胞増殖抑制」という別の機能との関係でクレーム化しようとした。
興味深いのは、先行する2016年ファミリーでも、本願と共通する5種類の第4級アンモニウム系モノマと、アクリル、シリコーン、ビニル、コラーゲン等のモノマとの組合せが、眼内インプラントに用いるポリマ材料として開示されている点である。他方、少なくとも公開された明細書を見る限り、同ファミリーにおいても、5種類のモノマそれぞれについて眼内インプラントに組み込んだ場合の効果を個別に確認する実験データが示されているわけではない。
それでは、なぜ先行ファミリーでは「抗菌性」の特許が成立する一方、本願では「細胞増殖抑制性」についてサポート要件が否定されたのか。
この違いは、単純に「実験データの有無」だけでは説明できない。むしろ重要なのは、それぞれのクレームが対象とする機能・用途について、明細書の記載及び出願時の技術常識から、その効果(課題を解決できること)を当業者がどこまで認識できるかという点にある。
2016年ファミリーが対象としたのは「抗菌性」であり、明細書では第4級アンモニウム系モノマの抗菌作用について、既知の作用機序やMDPB等に関する既知の知見が説明されている。これに対し、本願が対象としたのは、「眼内インプラントの表面に存在する、生物が元来有している細胞」の増殖抑制である。
本件で裁判所は、原告が主張した技術常識を仮に認めたとしても、それによって認識できるのは、第4級アンモニウム基を有する化合物が哺乳動物細胞の増殖を抑制する作用機序を発現することにとどまるとした。具体的な本願ポリマについて、眼内インプラント手術後の細胞増殖を抑制できることまで認識できるとはいえないと判断したのである。
したがって、本件は「実験データがなかったからサポート要件違反になった」という単純な事件ではない。むしろ、既知の材料について新たな機能を発明として切り出す場合、その新たな機能について、明細書の記載と出願時の技術常識からどこまで効果を認識できるのか、そして、その認識可能な範囲とクレームの広さが対応しているかが問われた事件と見るべきである。
同じ材料プラットフォームについて新しい生物学的機能を見いだせば、その機能を別の用途発明として権利化できる可能性がある。しかし、既知の材料について新たな機能をクレームする場合には、その材料が既知であることだけでは足りず、新たに主張する機能について、明細書の記載や出願時の技術常識から当業者が課題解決を認識できるだけの技術的裏付けが必要になる。
本件は、既知の材料を「別の機能」から権利化するという特許戦略の可能性と、その一方で、新たな機能を広い用途クレームとして成立させるためには、その機能についての技術的裏付けとクレーム範囲との対応が重要になるという限界を、同時に示した事例と見ることができる。
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