2026年、iPS細胞(人工多能性幹細胞)発見の報告から20年を迎えます。
2006年、山中伸弥教授らが京都大学において、世界で初めてマウス体細胞から多能性を誘導することに成功して以来、iPS細胞は再生医療研究の前提そのものを書き換えてきました。
そしてこの20年を経て、ついにiPS細胞を用いた再生医療等製品が実際の医療として承認される段階に到達しました。すなわち、2026年3月6日、次の2製品が、iPS細胞由来の再生医療等製品として世界で初めて条件及び期限付き承認を取得しました(同日付の各社プレスリリース参照)。
- 「レボドパ含有製剤を含む既存の薬物療法で十分な効果が得られないパーキンソン病患者の運動症状の改善」を効能・効果とする、住友ファーマの非自己iPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞「アムシェプリ®(ラグネプロセル/raguneprocel)」
- 「薬物治療や侵襲的治療を含む標準治療で効果不十分な虚血性心筋症による重症心不全の治療」を効能・効果とする、クオリプスのヒト(同種)iPS細胞由来心筋細胞シート「リハート®」
では、この20年、知的財産はどのような役割を果たしてきたのでしょうか。
この20年は単なる技術進歩の軌跡ではありません。基盤特許の確立に始まり、技術の社会実装を支えるフェーズへと、知財の重心が大きくシフトした20年でもありました。
本稿では、iPS細胞20年の歩みを、知財の視点から読み解きます。
iPS細胞技術の原点として知られるのが、山中教授らによる初期の基盤特許群です。代表例が、日本特許第4183742号(対応国際出願 PCT/JP2006/324881、国際公開 WO2007/69666、国際出願日 2006年12月6日)です。
体細胞から誘導多能性幹細胞を製造する方法であって、下記の4種の遺伝子:Oct3/4、Klf4、c-Myc、及びSox2を体細胞に導入する工程を含む方法。
この発明は、体細胞に特定の転写因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)を導入して多能性を誘導する方法を広くカバーするもので、いわゆる「山中因子」を用いた初期化技術を中核としています。
ここで重要なのは、「特定疾患への応用」ではなく、「細胞の作製方法そのもの」を発明の中心に据えた点にあります。すなわち、特定製品を囲い込むのではなく、プラットフォーム技術そのものを権利化した点に意義があります。その後の研究開発や産業参入、国際共同研究の前提条件を、この段階で法的に確保した意味は極めて大きいといえるでしょう。

それでは、「iPS細胞発見からの20年史」を見ていきましょう。
- 2005iPS細胞作製方法に関する発明を日本で出願
この日本出願に基づき、翌年、国際出願(PCT/JP2006/324881、国際公開WO2007/69666、国際出願日 2006年12月6日)。
- 2006山中伸弥教授らがマウス体細胞への4因子(いわゆる山中因子)導入による多能性細胞作製を報告(Cell, 2006; 126: 663-76)
それまで再生医療研究の中心であったES細胞は倫理的制約を伴いましたが、iPS細胞はそれを回避し得る技術として、瞬く間に世界的注目を浴びました。この段階での知財の関心事はこの技術を保護する特許権の確保でした。
- 2007ヒト体細胞からのiPS細胞作製を報告(Cell, 2007; 131: 861–72)
iPS技術は一気に臨床応用を見据えた段階へと進みます。ES細胞とは異なる倫理的・社会的評価を受けたことから、iPS細胞は「日本発の医療技術」として、政策的にも重点的に支援される研究分野となっていきます。
- 2008iPSアカデミアジャパン設立、政府は先端医療特許検討委員会で特許保護の在り方について検討開始
2008年にはiPSアカデミアジャパン株式会社が設立され、iPS関連特許の一元管理が始まりました。同年、日本政府も先端医療特許検討委員会において、iPS細胞関連技術の適切な特許保護の在り方について検討を開始します(先端医療特許検討委員会(第1回))。京都大学はその後、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)を設立。基礎研究・特許管理・細胞ストック事業を統合するエコシステムが形成されていきます。ここで採られた知財戦略は、基盤特許は広範に取得、非営利研究には比較的柔軟な利用、営利用途は原則非独占ライセンス、応用分野では条件付きで独占も可とする、つまり「囲い込み」ではなく、エコシステム型の知財管理でした。
- 2011iPierian社が同社保有のiPS細胞特許を京都大学に譲渡
iPierian社が保有するiPS細胞に関する特許(バイエル特許)を、京都大学は譲り受ける契約を締結しました(2011.02.01 CiRAニュース)。米国ではiPS細胞に関する先発明を争うインターフェアレンスが宣言される可能性が高まっていたところ、これにより、膨大な時間と費用がかかる特許係争を回避できたことがiPS細胞研究とiPS細胞技術普及の加速につながったといえます。
- 2012山中教授がノーベル生理学・医学賞を受賞
iPS細胞研究は名実ともに国家的プロジェクトとしての位置付けを強めます。この頃から、基礎研究の成果をいかに医療へと橋渡しするか、すなわち「社会実装」がますます強く意識されるようになります。
- 2013薬事法等の一部を改正する法律(薬機法)が成立
世界に先駆けて、再生医療製品に対する「条件及び期限付き承認制度」が導入されました。新たに「再生医療等製品」の区分が定義付けられ、従来の承認制度に加えて、特定の条件及び期限付きで早期に承認(仮承認)を与え、その後の市販で有効性と更なる安全性を検証し、再度の承認(本承認)を与えるという2段階の承認制度が設けられました(2014年11月25日施行。参考:厚労省ウェブサイト)。これを受けて、「再生医療等製品」を特許権の存続期間の延長登録制度において延長対象とすること、さらに、「仮承認」を延長対象とすることについて特許法施行令第3条も改正されました(参考:産業構造審議会知的財産分科会特許制度小委員会再生医療等製品の特許権の存続期間検討ワーキンググループ資料等)。
- 2014世界で初めてiPS細胞を用いた臨床研究が日本で実施
これは、iPS細胞が理論上の可能性にとどまらず、実際の患者治療に用い得る技術であることを示した象徴的な出来事でした(2014.09.12 独立行政法人理化学研究所「第一症例目の移植実施について」)。また、自由診療の再生医療には国内の法制度が未整備であったことから、再生医療の安全性確保のため、医療機関や細胞培養・加工施設に基準を設ける「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(安確法)」が施行されました。知財の中心は、分化誘導技術、品質評価法、CMC(製造・品質管理)、ストック細胞の管理技術など、「作る技術」から「安定して届ける技術」へと徐々に移ります。
- 2017再生医療における産官学連携や知的財産の在り方について活発な議論
製薬協「2017 ライフサイエンス知財フォーラム」では再生医療における産官学連携や知財戦略が議論されました(JPMA NEWS LETTER 2017年5月号 No.179参照)。再生医療技術の急速な発展を通じて、低分子医薬や抗体医薬のように有効成分中心の「物の発明」モデルとは根本的に異なり、細胞、製造プロセス、使用方法等が複合的に絡み合う知財設計とエコシステムが再生医療にとって不可欠であることや、特許の藪問題やクロスライセンスへの対応等、製品化を見据えた課題への認識が強まっていきます。
- 2021公共の利益のための通常実施権を設定すべき旨の裁定請求
「網膜色素上皮細胞の製造方法」に関する特許権に対して、特許法第93条第2項に基づく公共の利益のための通常実施権設定の裁定請求がなされました。2024年に和解で終結しましたが、特許権がiPS細胞由来再生医療の実施に対して障壁となった事件として注目を集めました。また、裁定制度が現実的な交渉要素となり得ることを示した点でも、知財実務に与えた影響は小さくありません(2024.07.02ブログ記事「公共の利益のための通常実施権を設定すべき旨の裁定請求 ⾃家iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞の製造等に関してビジョンケア、ヘリオス、住友ファーマらが和解 ― 強制実施権設定の在り方と浮かび上がった課題 ―」参照)。
公共の利益のための通常実施権を設定すべき旨の裁定請求 ⾃家iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞の製造等に関してビジョンケア、ヘリオス、住友ファーマらが和解 ― 強制実施権設定の在り方と浮かび上がった課題 ―1.はじめに株式会社ヘリオス(以下「ヘリオス」)、国立研究開発法人理化学研究所(以下「理研」)及び国立大学法人大阪大学(以下「大阪大学」)が共同保有する発明の名称を「網膜色素上皮細胞の製造方法」とする本件特許(第6518878号)に係る特許権に対して、2021年7月13日に、高橋政代氏(以下「高橋氏」)を代表取締役とする株式会社ビジョンケア(ビジョンケア)及び株式会社VC Cell Therapy... - 2025大阪・関西万博では「iPS心臓」が展示され話題に
大阪関西万博では、iPS細胞から作製した心筋細胞が拍動する「iPS心臓」や心筋シートがパビリオンなどで展示されました。厚労省/経産省も「HEALTH DESIGN 輝き、生きる。Live Brighter」 と題したイベントに出展。再生医療等医薬品の展示や再生医療の最前線の説明など、万博会場に訪れた一般市民からも高い関心を集め、再生医療の意義を伝える重要な機会となりました。

- 2026世界初、iPS細胞を使った再生医療等製品が条件・期限付き承認
2026年3月6日、iPS細胞を使った2つの再生医療等製品、すなわち、住友ファーマの非自己iPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞「アムシェプリ®」とクオリプスのヒト(同種)iPS 細胞由来心筋細胞シート「リハート®」が日本で条件・期限付き承認。世界初のiPS細胞を使った再生医療等製品となりました。一方、CiRAと武田薬品工業による産学連携プログラム「T-CiRA」は10年間にわたる取り組みを経て終了(2026.02.10 CiRAニュース「【活動報告】T-CiRAプログラム10年の歩みと、次世代治療への展望」)。アカデミア成果を市場に届ける困難さも改めて浮き彫りになりましたが、世界初のiPS細胞由来製品承認のニュースは、この20年間で研究成果が社会実装まで着実に進展してきたことを示しています。
この20年を振り返ると、黎明期において最大の関心事は、iPS細胞の作製方法や初期化因子に関する基盤特許の確立、すなわち知財の確保そのものでした。
さらに、知財の創出と活用の面では、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)およびiPSアカデミアジャパンが、関連特許を集中的に管理し、独自のライセンスポリシーを構築しました。
研究用途には広範な利用を認める一方、営利機関には原則として非独占的ライセンスを許諾し、適正かつ合理的な対価を設定する。他方、応用技術については一定の条件の下で独占的ライセンスも認める。そのような段階的設計です。
この枠組みは、①世界中のアカデミアに基礎研究を普及させること、②研究成果を可能な限り早期に患者へ届けること、という二つの目的を両立させるためのものでした。
その結果、iPS細胞技術は単一企業に囲い込まれることなく、CiRAを中心とする研究基盤、iPS細胞ストック事業、アカデミア・スタートアップ・製薬企業の連携へと発展しました。段階的ライセンシングは、再生医療特有のエコシステムを支える知財モデルとして機能してきたといえます。
もっとも、iPS細胞医療が臨床段階に近づくにつれ、知財の主戦場は明確に変化しました。
低分子医薬や抗体医薬のように有効成分を中心とする「物の発明」モデルとは異なり、再生医療等製品は「生きた細胞」そのものを製品とします。その同一性と安全性は、分化誘導条件、培養工程、品質評価といったCMC関連技術によって実質的に規定されます。
承認取得においてこれらが核心的要件となる以上、製造工程や品質管理を含む実装段階の知財(ノウハウを含む)が、競争力を左右する決定的要素として前面に位置づけられるようになりました。
iPS細胞由来ではありませんが、薬機法施行後初めて条件・期限付き承認を受けた再生医療等製品であるテルモの自家ヒト骨格筋由来細胞シート「ハートシート®」(その後、正式承認に至らず2024年販売終了)においても、培養物の製造方法、移植片の評価方法、凍結保存細胞からの生細胞の回収方法等に関する特許群が形成されていました(参考:「再生医療分野における特許戦略及び特許審査の三極比較研究」知財管理 Vol.67, No.9, p1371 (2017))。
このように、iPS細胞由来製品においては、「方法の発明」「製造方法の発明」の権利化に加え、クロスライセンスの設計、ノウハウ管理、規制対応を含む統合的な知財戦略が不可欠となっています。知財はもはや保護手段にとどまらず、社会実装を推進するドライビングフォースとして機能してきました。
一方で、複合的に絡み合う権利関係は、特許の藪やロイヤルティ・スタッキングといった負の側面も生み出しています。2021年に始まった特許法93条2項に基づく裁定請求事案が示したように、特許権の独占と公共の利益が正面から対峙する局面も現れました。見方を変えれば、これは、iPS細胞を用いた再生医療が理念の段階を超え、現実の医療・産業として成立しつつあることの証左であるといえるのかもしれません。
初期の基盤特許の満了が間近に迫りつつある今、iPS細胞医療は「いかに発明するか」という段階から、「いかに安定的に社会へ届け続けるか」という実装フェーズへと本格的に移行しています。
iPS細胞20周年は、世界初のiPS細胞由来製品承認という成果とともに、製品化後の知財課題への対応を含めた再生医療分野の知財戦略が新たな段階へ入ったことを示す転換点と位置付けられるでしょう。

基盤特許満了後の世界で、日本型エコシステムはどこまで持続可能なのか。iPS細胞20周年は、その答えを探る出発点なのかもしれません。
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