Summary
本件は、被告であるベーリンガーインゲルハイムが特許権を有する、DPP-4阻害薬リナグリプチンと長時間作用型インスリンとの併用による糖尿病治療に関する特許について、原告ニプロが無効審判請求不成立審決の取消しを求めた事案である。
知財高裁は、実施可能要件及びサポート要件を充足するとした特許庁の判断を是認し、原告の請求を棄却した。
本判決の意義は、医薬用途発明における実施可能要件及びサポート要件の判断枠組みを改めて整理した点にある。すなわち、両要件の判断において、「明細書の記載」と「出願時の技術常識」との相互補完関係を明確に位置づけるとともに、これらの要件と進歩性判断との峻別を明示した点が注目される。
また、本件特許は、リナグリプチンを有効成分とするトラゼンタ®錠の特定の使用態様(医薬用途)を保護するものと位置づけられ、その存続は後発医薬品の参入時期に実質的な影響を及ぼし得る。この点において、本件は、単なる記載要件論にとどまらず、リナグリプチン製剤の後発医薬品参入時期を左右し得る用途特許群の有効性に関する重要な紛争として位置付けられる。

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1.背景
本件(知財高裁令和7年(行ケ)10058)は、被告ベーリンガーインゲルハイムが特許権者である発明の名称を「糖尿病療法」とする特許第6189374号(以下「本件特許」)に対し、原告ニプロが無効審判(無効2024-800007号事件)を請求したが、特許庁はこれを成り立たないとする審決をしたため、原告が当該審決の取消しを求めた事案である。
本件特許における特許請求の範囲のうち請求項1、12、15及び17の記載は、次のとおりである。
【請求項1】
リナグリプチンであるDPP-4阻害薬を含有する、高齢患者における、基礎インスリンである長時間作用性インスリンと組み合わせた別々、逐次又は同時治療的使用のための医薬組成物。
【請求項12】
リナグリプチンであるDPP-4阻害薬を含有する、高齢患者における2型糖尿病の治療方法に使用するための医薬組成物であって、前記方法は、前記DPP-4阻害薬と、基礎インスリンである長時間作用性インスリンと、任意で1種以上のさらなる治療薬との投与を含んでなる、医薬組成物。
【請求項15】
リナグリプチンであるDPP-4阻害薬を含有する、高齢患者における2型糖尿病の治療方法に使用するための医薬組成物であって、前記使用は、DPP-4阻害薬を、基礎インスリンである長時間作用性インスリンに単独で又はメトホルミン、ピオグリタゾン及びスルホニル尿素から選択される1種以上の他の抗糖尿病薬と組み合わせて添加することを含み、前記患者は、インスリン単独又はメトホルミン、ピオグリタゾン及びスルホニル尿素から選択される1種以上の他の抗糖尿病薬との組合せでは不適切にコントロールされる、医薬組成物。
【請求項17】
リナグリプチンであるDPP-4阻害薬を含有する、高齢の1型糖尿病、LADA、又は2型糖尿病患者における血糖コントロールの改善並びに/或いは微小血管疾患及び大血管疾患から選択される糖尿病合併症の予防、リスクの低減、進行の減速、発症の遅延又は治療のための、基礎インスリンである長時間作用性インスリンと組み合わせた使用のための医薬組成物。
本件発明は、このように特定の患者集団(高齢患者)を対象として、DPP-4阻害薬であるリナグリプチンと長時間作用型インスリンの併用療法を内容とするものであるところ、原告は実施可能要件(特許法36条4項1号)違反及びサポート要件(同36条6項1号)違反を主張した。これに対し、特許庁はいずれの無効理由も認めず特許の有効性を維持したため、その判断の当否が本件の争点となった。
なお、本件明細書の発明の詳細な説明には、リナグリプチンを単独で用いた薬理試験結果が記載されているが、DPP-4阻害薬(リナグリプチン)と長時間作用性インスリンの組合せについて、治療効果を確認した薬理試験結果は示されていなかった。
2.裁判所の判断
2026年4月22日、知的財産高等裁判所第4部(以下「裁判所」)は、本件審決についての原告の取消事由(実施可能要件及びサポート要件に関する判断の誤り)に関する主張は採用できず、そのほかに本件において本件審決を取り消すべき事由は認められないことから、原告の請求は理由がないとしてこれを棄却する判決を言い渡した。
本判決は、実施可能要件及びサポート要件の解釈について一般的な判断枠組みを示した上で、本件発明への当てはめを行っている。
(1)実施可能要件について
まず、実施可能要件について裁判所は、次のとおりその意義を明確にしている。
「実施可能要件を充たすためには、当業者が、明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、当該発明に係る物を作り、使用をすることができる程度の記載があることを要する。」
さらに、医薬用途発明に特有の要請として、薬理データ等の位置付けについて次のように判示した。
「医薬用途発明においては、…実施可能要件を満たすというためには、明細書において、当該物質が当該用途に使用できることにつき薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載し、出願時の技術常識に照らして、当該物質が当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるようにする必要がある」
もっとも、本判決は同時に、薬理データの記載が不可欠であるとまではしていない点に注意を要する。この点について裁判所は明確に、
「物の発明である医薬用途発明については、明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に照らして、当該物質が当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できれば足り、薬理データの記載を欠くことから直ちに実施可能要件を満たさないことにはならない。」
と判示し、明細書の記載と技術常識との総合判断で足りるとする柔軟な枠組みを採用した。
その上で本件については、①DPP-4阻害薬と長時間作用性インスリンの補完的作用機序、②高齢糖尿病患者における薬剤選択に関する技術常識、③各薬剤の安全性に関する知見等を総合考慮し、本件明細書に接した当業者は、本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づいて、DPP-4阻害薬であるリナグリプチンを作用機序が異なる長時間作用性インスリンと併用し、高齢患者に投与することにより、両剤の作用が補完し合い、それぞれ単独で用いた場合に比べて糖尿病等に対する治療効果が向上すると理解できると認定した。そして、その結果、本件発明は実施可能要件を満たすと判断した。
また、原告は、①薬理データによる裏付けの必要性、②併用時の安全性リスク、③優れた効果の裏付けの必要性を主張したが、裁判所はいずれも退けた。特に③に関しては、実施可能要件と進歩性の峻別を強調し、
「実施可能要件を充足するか否かとの判断は上記の観点から行われるべきであり、その枠組みに新規性・進歩性の判断を取り込むべきではない」
と判示した点が注目される。
(2)サポート要件について
次に、サポート要件について裁判所は、次の一般的判断枠組みを示している。
「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、…当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否かを検討して判断すべき」
そして本件においては、本件発明の課題を「慢性かつ進行性の疾患であり、長期にわたって薬物療法を受けることが求められる糖尿病の高齢患者において、有効、安全かつ耐えられる抗糖尿病療法を提供すること」と把握した上で、前記実施可能要件と同様の理由により、当業者においては、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識に基づき、リナグリプチンと長時間作用性インスリンを高齢患者に併用投与すると、それぞれ単独で用いた場合に比べて糖尿病等に対する治療効果が向上すると理解することができると解されるから、上記課題を解決できることを認識し得ると判断した。
これに対し原告は、「従来技術より優れた効果」を基準とすべきと主張したが、裁判所はこれについても、
「サポート要件の判断に進歩性の判断を取り込むものとして、採用することができない」
として明確に排斥した。
以上のとおり、裁判所は、実施可能要件及びサポート要件のいずれについても特許庁の判断に誤りはないとし、原告の請求を棄却した。
3.コメント
本判決の意義は、医薬用途発明における記載要件、特に実施可能要件及びサポート要件の判断枠組みを、改めて整理した点にある。とりわけ、両要件の判断において「明細書の記載」と「出願時の技術常識」との相互補完関係を明示しつつ、進歩性判断との峻別を明確に打ち出した点が重要である。
本判決と同日に、リナグリプチンの医薬用途発明に係る別件特許(特許第6262023号及び特許第6556767号)についても、審決取消請求事件の判決言渡しがされている(近日公開予定の下記ブログ記事②③参照)。
- 特許第6189374号(本件特許):2026.04.22 「ニプロ v. ベーリンガー インゲルハイム」 知財高裁令和7年(行ケ)10058 ― 糖尿病治療におけるリナグリプチン併用療法発明と記載要件判断①(本記事)
- 特許第6262023号:2026.04.22 「ニプロ v. ベーリンガー インゲルハイム」 知財高裁令和7年(行ケ)10065 ― 糖尿病治療におけるリナグリプチン併用療法発明と記載要件判断②
- 特許第6556767号:2026.04.22 「ニプロ v. ベーリンガー インゲルハイム」 知財高裁令和7年(行ケ)10082 ― 糖尿病治療におけるリナグリプチン併用療法発明と記載要件判断③
本件を含むこれら一連の事件において、裁判所はいずれも、実施可能要件及びサポート要件に関する特許庁の判断に誤りはないとして、原告の請求を棄却した。
(1)記載要件における技術常識の役割
実施可能要件について、本判決は、医薬用途発明において薬理データ等の裏付けが要求され得ることを前提としつつも、それを画一的な要件とは位置付けず、薬理データが存在しない場合であっても「明細書の記載及び出願時の技術常識に照らし、当業者が使用可能性を理解できるか」という観点からの総合判断を採用した。この点は、「薬理データの欠如=直ちに不充足」とする形式的理解を明確に排している点で実務上の意義が大きい。
そして本件では、DPP-4阻害薬と長時間作用性インスリンという既知薬剤の組合せについて、①作用機序の補完関係、②高齢糖尿病患者に関する一般的医学知見、③各薬剤の安全性プロファイルといった複数の技術常識が積み重ねられることで、「併用による有効性及び安全性」が当業者に理解可能であると評価されている。このように、本判決は、個別データの有無ではなく、「技術常識の組合せによる合理的理解可能性」を中核に据えた点に特徴がある。
また、「高齢患者」という患者集団の限定についても、高齢患者に特化したサブグループ解析データが存在しない場合であっても、既存の医学的知見から安全かつ有効に使用し得ることが合理的に導かれる限り、実施可能要件を否定する理由とはならないと解されている。本判決は、医薬用途発明について、必ずしも対象患者群に関する臨床試験データの存在を要求していない。特に、高齢患者というサブグループについて独立した検証データが存在しない場合であっても、既存知見から合理的に推認可能であれば足りるとした点は、近年増加する患者層限定クレームの実務に影響を与え得る。この点は、患者層限定発明における開示水準の評価に関して、実務上の重要な指針を与えるものである。
サポート要件についても同様に、本判決は、課題を「高齢糖尿病患者に対する有効、安全かつ耐えられる治療の提供」と把握した上で、その解決手段が明細書の記載及び技術常識から当業者に認識可能であるかを基準としている。ここでも、優越的効果の具体的立証を要求するものではなく、「課題解決可能性の認識可能性」に着目した判断が貫かれている。
(2)記載要件と進歩性との枠組みの峻別とその緊張関係
さらに注目すべきは、原告が主張した「従来技術より優れた効果の裏付け」を、実施可能要件及びサポート要件の問題として取り込むことを明確に否定した点である。本判決は、これらの記載要件はあくまで「公開の対価としての開示の十分性」を問うものであり、「特許付与の価値判断」である進歩性とは制度趣旨を異にすることを強調している。この峻別は理論的には当然であり、その意味で本判決は再確認的意義を有する。
もっとも、実務上は、記載要件と進歩性を完全に切り離して論じることは容易ではない。本判決が示すように、「技術常識への依拠」により実施可能性や課題解決可能性を基礎付ければ付けるほど、その内容は逆に「当業者が容易に想到し得た」ものとして進歩性判断において不利に作用し得るからである。
本件は進歩性が争点とされていないが、仮に将来的に進歩性欠如が問題となる場合、特許権者としては、このジレンマを乗り越える形で主張立証を構築する必要がある。実際、ニプロは、2025年6月に本件特許に対する別件無効審判請求をしており特許庁に係属中であるが、その無効理由は少なくとも進歩性の欠如にあるようである(無効2025-800056号事件)。ベーリンガーインゲルハイムとしては、例えば、単なる技術常識の延長では説明できない具体的効果、すなわち併用による相乗効果や特定患者集団(本件では高齢患者)における予期し得ない臨床的利益を強調することが考えられる。また、作用機序の補完関係が一般論として知られていたとしても、本件の具体的組合せや適用対象においては予測困難性があったことを、当時の文献状況や臨床的知見の限界を踏まえて論証することが重要となる。
興味深いのは、本件発明における「高齢患者」という限定の技術的意味である。糖尿病は高齢者に多い疾患であり、またリナグリプチン自体も高齢患者への投与が一般的に想定されていたことからすると、この限定が実際にどの程度クレームの技術的特徴付けとして機能しているのかは検討の余地がある。他方で、進歩性の観点からは、高齢患者特有の低血糖リスクや腎機能低下等を踏まえた安全性上の意義をどのように位置付けるかが重要となり得る。
このように、本判決は、記載要件に関する個別判断にとどまらず、医薬用途発明におけるクレームドラフティング及び出願戦略全体に内在する「技術常識への依拠」と「進歩性確保」とのバランス、すなわち、出願時にどの程度のデータを開示すべきか、また将来の無効リスクを見据えてどのようなストーリーを構築しておくべきかという問題を浮き彫りにするものである。
総じて、本判決は、記載要件と進歩性の「法的峻別」と「実務的連関」という二面性を強く意識させるものであり、医薬分野における特許実務に対して、より戦略的かつ整合的なストーリーテリングを要求する判例であると位置付けることができる。
(3)リナグリプチンの後発医薬品はいつ市場に?
ア.リナグリプチンを含有する製品
リナグリプチン(Linagliptin)は、ベーリンガーインゲルハイムが創製した、胆汁排泄型の選択的ジペプチジルペプチダーゼ-4(DPP-4)阻害薬である。日本では2011年7月1日、「2型糖尿病(ただし、食事療法・運動療法のみでは十分な効果が得られない場合に限る)」を効能・効果として製造販売承認を取得し、「トラゼンタ®錠」として上市された。その後、2013年3月には効能・効果が「2型糖尿病」へと拡張されている。
さらに同社は、SGLT2阻害薬であるエンパグリフロジン(Empagliflozin)との配合剤も開発し、2018年9月21日、「2型糖尿病(ただし、エンパグリフロジン及びリナグリプチンの併用による治療が適切と判断される場合に限る)」を効能・効果として承認を取得、「トラディアンス®配合錠」として販売されている。1日1回1錠投与の経口製剤であり、AP(エンパグリフロジン10mg/リナグリプチン5mg)及びBP(同25mg/5mg)の2規格が設定されている。2024年の国内売上高は343億円(前年比18.2%増)と、現在も一定の市場規模を維持している。
薬事上の独占期間との関係では、「トラゼンタ®錠」の再審査期間は8年間であり、2019年6月30日に終了している。また、「トラディアンス®配合錠」についても、エンパグリフロジンの「2型糖尿病」に係る再審査期間と同一の2022年12月25日に終了している。
このように、リナグリプチン含有製剤はいずれも薬事上の独占期間を既に経過しているにもかかわらず、現時点で後発医薬品の承認は確認されていない。すなわち、特許権が後発医薬品参入の実質的障壁として機能している状況にあると考えられる。実際、リナグリプチン関連では、存続期間延長登録を含む複数の特許群が形成されている(2026.04.12ブログ記事「2026.02.09 「ベーリンガー インゲルハイム v. 沢井製薬・日本ジェネリック」 知財高裁令和7年(行ケ)10054 ― リナグリプチン「5mg・1日1回」用量設定の容易想到性」参照)。

イ.本件特許の位置づけ
本件特許(特許第6189374号)の請求項1は、以下のとおりである。
【請求項1】
リナグリプチンであるDPP-4阻害薬を含有する、高齢患者における、基礎インスリンである長時間作用性インスリンと組み合わせた別々、逐次又は同時治療的使用のための医薬組成物。
まず、「高齢患者」の構成についてみると、トラゼンタ®錠の添付文書及びインタビューフォームには、高齢者においても用量調整を要しない旨や、有害事象に関する注意喚起が記載されている。これらの記載は、高齢患者への投与が臨床上想定された使用態様であることを前提とするものといえる。さらに、本剤の適応である2型糖尿病は高齢者に多くみられる疾患であることも踏まえれば、リナグリプチンは高齢患者に対して通常使用される医薬品であると評価できる。したがって、トラゼンタ®錠の製造販売は「高齢患者」という構成を充足すると解される。
次に、「基礎インスリンである長時間作用性インスリンとの併用」については、同インタビューフォームの臨床試験記載において、インスリングラルギン等の長時間作用型インスリン(持効型溶解)を用いた基礎インスリン療法中の患者に対し、リナグリプチンを追加投与する具体的使用態様が示されている。このような記載は、当該併用療法が臨床上想定された投与態様であることを示すものといえる。したがって、トラゼンタ®錠については、「基礎インスリンである長時間作用性インスリンと組み合わせた使用」という構成を充足する態様が含まれていると評価することができる。
以上より、本件特許は、トラゼンタ®錠の特定の医薬用途(高齢患者における基礎インスリン併用)を保護するものとして位置づけられる。同特許の存続期間満了日は2031年6月22日であり、さらにトラディアンス®配合錠の承認に基づき1年1月10日の延長が認められていることから、同配合剤についても実質的に保護範囲に含まれるとみられ、満了日は2032年8月1日となる。
なお、最近の事例であるルビプロストン事件において、大阪地裁は、医薬用途発明に係る特許権の侵害判断に関し、沢井製薬(被告)が主張したいわゆる「ラベル論」や「専ら論」といった形式的な枠組みに依拠するのではなく、あくまで特許発明の構成要件の解釈を出発点として、被告製品の実施が当該用途発明の一態様としての実施に該当するかという観点から技術的範囲への属否を判断するという、特許法の原則に忠実な手法を採用している。すなわち、添付文書の記載を形式的に基準とするのではなく、用途発明としての技術内容への該当性を実質的に評価する姿勢が明確に示されている(2026.04.01ブログ記事「2026.03.03 「ヴィアトリス製薬 v. 沢井製薬」 大阪地裁令和7年(ワ)10786, 10790 ― 後行延長特許権の効力は先行延長の対象医薬品に及ぶか(ルビプロストン事件)」参照)。

したがって、本件のような特定の使用態様を保護する用途特許が存続する限り、日本版パテントリンケージの運用(いわゆる二課長通知)において「トラゼンタ®錠」の後発医薬品の承認は制限される可能性が高い(2025.10.11ブログ記事「厚労省、日本版パテントリンケージ制度の根拠となっている平成21年二課長通知を改正、新たな通知を発出」参照)。

他方で、パテントリンケージに新たに導入された専門家委員制度において、当該用途特許の技術的範囲に関する判断がどのように行われるのか、またどのような意見が提出されるのかは外部からは把握困難であり、透明性および判断の予見可能性の観点からなお課題が残されている(2026.03.19ブログ記事[寄稿]田村善之「パテント・リンケージ制度について」参照)。

本件特許の存続は後発医薬品の参入時期に実質的な影響を及ぼし得る。この点において、本件は、同製品の後発医薬品参入を企図するニプロとの間の特許紛争の重要な局面にあるといえる。
(4)日本の分割及び欧米ファミリーの状況
本件特許(特許第6189374号)は、PCT出願(出願番号:PCT/EP2011/060449、国際公開番号:WO2011/161161)を基礎とするファミリーに属し、特許第5843855号(親出願)からの第一世代分割出願に由来する。さらに、本件特許に続く第二世代分割出願についても、特許第6643286号として登録されている。
まず、特許第5843855号(親出願)は、全請求項において「リナグリプチンの皮下又は経皮投与」を必須の構成とするものである(例えば請求項18がその代表的クレームである。)。これに対し、本件特許(第一世代分割)は、高齢患者におけるリナグリプチンと長時間作用性インスリンとの併用療法に主眼を置く内容となっている。
さらに、特許第6643286号(第二世代分割)は、「インスリンで血糖コントロールが不十分な高齢患者」及び「リナグリプチンの1日経口投与量5mg」を必須の構成としつつ、「基礎インスリンである長時間作用性インスリンとの併用」という点で本件特許と共通する技術的特徴を有している。
欧州では、EP3366304B1及びEP3725325B1の2件の特許が成立しているが、いずれも「皮下投与されるリナグリプチン」に関する内容となっている。また、米国では、US9149478B2が成立しているが、そのクレームはリナグリプチンの「非経口用組成物」に向けられており、併用療法自体は必須の構成要件とはされていない。
興味深いのは、日米欧のいずれにおいても、当初はリナグリプチンと長時間作用性インスリンとの併用療法を中心とするクレーム構成が見られたにもかかわらず、審査過程においては、併用療法そのものよりも、「皮下投与」や「経皮投与」といった非経口製剤に重心を移す補正又は権利化が進められている点である。
この点について、本件明細書には、リナグリプチンの皮下投与後における血漿中DPP-4阻害活性に関する動物実験データが記載されており、その作用持続性や有効性が経口投与に匹敵し得ること、さらには皮下投与インスリンとの配合剤として利用可能であることも示唆されている。したがって、出願当初において、非経口投与形態を一定程度意識した技術的開示が存在していたといえる。
もっとも、公開情報ベースで見る限り、ベーリンガーインゲルハイムが、リナグリプチンの皮下/経皮投与製剤について、本格的な臨床開発を継続していたことを示す資料は見当たらない。実際、公開されている臨床試験、開発パイプライン、プレスリリース等においては、リナグリプチンは一貫して経口製剤として位置付けられている。
近年では、リナグリプチンについて、「Sustained-release(徐放性)」又は「Long-acting(長時間作用型)」を志向した研究開発も散見されるものの、その多くはアカデミック研究又は前臨床段階にとどまっている。
このような経過を踏まえると、日欧米における非経口製剤へのクレームシフトは、実際の製品開発を直接反映したものというよりも、審査対応上の必要性に加え、将来的な剤形展開や競合参入を見据えた周辺的・防御的な権利化戦略としての性格を有していた可能性があるようにも思われる。
もっとも、その背景には、各国審査実務における進歩性判断の差異、用途発明クレームに対する許容性の違い、さらには実際の研究開発戦略との関係など、多面的な要因が存在し得るため、その評価についてはなお慎重な検討を要するであろう。
いずれにしても、欧米と異なり日本においては、ベーリンガーインゲルハイムが、実際の製品使用態様に接続し得る併用療法でのクレームを追求し続け、本件特許として権利化に成功し、さらに本件訴訟においてその有効性維持に至ったことは、トラゼンタ®錠のライフサイクルマネジメント及び製品価値の維持・最大化に一定程度寄与し得るものと考えられる。
他方で、本件では既に別件無効審判(無効2025-800056号事件)が係属しており、少なくとも進歩性欠如が主要な争点となる可能性がある。記載要件に関する本判決の論理が、今後の進歩性判断との関係でどのように整理されるのかという点も含め、次の主戦場は、まさにこの新たな無効審判の帰趨に移っていくことになりそうである。
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