Summary
本件は、3成分(自己由来の血漿、b-FGF、脂肪乳剤)を含有する「豊胸用組成物」に関する特許権を有する控訴人(東海医科)が、当該組成物を調合し豊胸手術に用いた被控訴人(医師Y)によって当該特許権が侵害されたと主張して損害賠償を請求した事案である。
知財高裁(大合議)は、被控訴人は各成分を別々に投与していたとして特許権侵害を否定した原審(東京地裁)の判断を覆し、被控訴人が3成分を同時に含む組成物を調合・投与していたと認定した。
さらに、裁判所は、本件発明が「物の発明」であることを踏まえ、人体への投与が予定されていることを理由として特許法29条1項柱書の産業上の利用可能性を否定することはできないと判断。原材料が人間由来であっても、それを理由に同柱書違反を構成しないとした。
加えて、本件組成物は審美を目的とした美容医療に用いられるものであり、「人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物」には該当せず、調剤行為の免責を定める特許法69条3項の適用も否定した。
これらの判断に基づき、知財高裁は原判決を取り消し、被控訴人に約1500万円の損害賠償の支払いを命じた。
本件判決は、医療現場で用いられる「物の発明」について産業上の利用可能性を肯定し、美容医療においては医師による調剤が特許権侵害となり得るとの判断を明確に示した点で、医薬・医療分野における今後の特許実務に対して大きな示唆を与えるものとなった。他方で、いくつかの論点が未解決のまま残されており、今後の立法・判例の動向に注視する必要がある。
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おや、ピポとミャオが何かおしゃべりしているようですよ・・・

ピポ先輩~。ピポ先輩って、確か医師免許も持った知財専門家ですよね?

ああ、ロボット専用医師だけど、どうした?

最近、肌の調子が悪くて……ピポ先輩に診てもらおうかなと思いまして。

なるほど、じゃあA剤とB剤を混ぜて塗ってあげよう。ピカピカになるぞ!

ちょっと待ってください!ライバル会社がAとBを配合した美容薬の特許権を持ってますけど、大丈夫ですか?

えっ……確か、特許権の効力が及ばない範囲を定めた特許法69条3項で、医師の調剤行為は免責されているはず……。

でも、最近の知財高裁大合議判決によると、「美容薬」の発明は、特許法69条3項の「医薬」に該当しないかもしれませんから、特許法69条3項は言い訳にならないかもですよ。

うむ……。じゃあ、これは「肌荒れ」という病気の治療目的だから、ライバル会社のAB配合美容薬とは別物……。

その理屈、大丈夫ですか~?

そ、そんなに心配なら、A剤とB剤を混ぜずに別々に塗ってあげよう!

じゃあピポ先輩、A剤とB剤を別々に投与して、体内で混ざった場合に特許権侵害が成立するかどうか、説明してください。

……ロボットのメンテナンスに行ってくる!
1.背景
本件(知財高裁令和5年(ネ)10040)は、以下の3成分 — ①自己由来の血漿、②塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)、③脂肪乳剤 — を含有する「豊胸用組成物」に関する本件特許(第5186050号)の特許権者である東海医科(控訴人)が、その特許権を侵害されたとして損害賠償を請求した事案である。
被控訴人である医師Yは、自らが経営する美容クリニックにおいて、「3WAY血液豊胸」という名称の施術に用いる薬剤を使用していたが、控訴人はこの行為が上記3成分を含む本件発明の「豊胸用組成物」の生産に該当すると主張した。
なお、本件特許の請求項1及び請求項4は次のとおりである。
自己由来の血漿、塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)及び脂肪乳剤を含有してなることを特徴とする皮下組織増加促進用組成物。
【請求項4】
豊胸のために使用する請求項1~3のいずれかに記載の皮下組織増加促進用組成物からなることを特徴とする豊胸用組成物。
東京地裁(令和4年(ワ)第5905号)は、2023年3月24日、被控訴人が3成分を同時に含有する薬剤を調合し投与したとは認められないとして、特許権侵害を否定し、控訴人の請求を棄却した(詳細は2023.09.30ブログ記事「2023.03.24 「東海医科 v. A」 東京地裁令和4年(ワ)5905 ― 体外と体内の狭間、組み合わせの物と方法の狭間、医療と産業の狭間で ―」(医薬系特許的判例ブログ年報 2023, p106-131)参照)。

控訴人は原判決を不服としてその取り消しを求めて知財高裁に控訴した。
知財高裁は2024年6月24日、本件について広く第三者意見(アミカス・ブリーフ)を募集する異例の措置をとった(詳細は2024.06.24ブログ記事「知的財産高等裁判所が第三者意見を募集 ― 体外と体内の狭間、組み合わせの物と方法の狭間、医療と産業の狭間の問題に注目か? ―」参照)。第三者意見募集制度は、特許権侵害訴訟等において、裁判所が当事者の申立てに基づき必要と認める場合に、他の当事者の意見を聴いた上で、広く一般に対し、当該事件に関する特許法の適用その他必要な事項についての意見書の提出を求めることができる制度である(特許法第105条の2の11)。本制度は、令和3年の特許法改正(令和3年法律第42号)により新設された証拠収集手続であり、今回の第三者意見募集は、制度施行後2度目の実施にあたる。初の実施例は、令和4年(ネ)第10046号事件(ドワンゴ v. FC2)である。

さらに、同年12月25日には本件を大合議事件に指定し、重要判例となる可能性があることを示した(2025.01.24ブログ記事「知財高裁が新しい大合議事件を指定 ― 体外と体内の狭間、組み合わせの物と方法の狭間、医療と産業の狭間の問題に注目か? ―」参照)。

当初、知財高裁が示した主な争点は以下のとおりである。
- 本件特許発明の組成物を生産するには被施術者から採血する必要がある。また、この組成物は被施術者に投与することが予定されている。このように前後に医療行為を予定する本件特許発明は、「産業上利用することができる発明」(特許法29条1項柱書)でないから特許の対象とされるべきではなく、特許は無効であるか。
- 特許法69条3項の規定により、医師である被控訴人が3成分が同時に含まれる薬剤を調合する行為には、特許権の効力は及ばないか。
- 被控訴人が3成分を別々に被施術者に投与し、これらの成分が体内で混ざり合った場合に、被控訴人に特許権侵害が成立するか。
○ 特許法29条1項柱書
産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
○ 特許法69条3項
二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明又は二以上の医薬を混合して医薬を製造する方法の発明に係る特許権の効力は、医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する行為及び医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する医薬には、及ばない。
2.裁判所の判断
知財高裁特別部(大合議。以下「裁判所」)は、まず、原審とは異なる事実認定に基づき、被控訴人が、本件発明の構成要件である「①自己由来の血漿、②塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)、③脂肪乳剤」の3成分を含む組成物を製造し、本件発明の技術的範囲に属する組成物を生産していたと認定した。
次に、裁判所は、特許の有効性に関する被控訴人の各主張、すなわち産業上の利用可能性の欠如(特許法29条1項柱書)、サポート要件違反(同法36条6項1号)、明確性要件違反(同法36条6項2号)について、いずれも理由がないとした。また、試験研究のための実施の免責(同法69条1項)、調剤行為の免責(同法69条3項)、および権利濫用の抗弁についても、各要件を満たさないとして退けた。
損害額の算定にあたっては、特許法102条2項の適用要件である「特許権侵害行為がなかったならば利益を得られたであろう事情」が認められないとして、同項の適用を否定。一方、同条3項に基づき、被控訴人が本件手術の対価として得た売上高に実施料率8%を乗じた額を損害額と認定し、以下のとおり原判決を取り消した(判決言渡日:2025年3月19日)。
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、1503万2196円及び別紙1認容額一覧表の「認容額」欄記載の各金額に対する「遅延損害金起算日」欄記載の各日から支払済みまで年3%の割合による金銭を支払え。
3 控訴人の当審におけるその余の追加請求を棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2審を通じてこれを8分し、その7を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
5 この判決は、第2項に限り、仮に執行することができる。
本件では複数の争点が争われたが、本稿では以下の主要な争点について裁判所の判断を紹介する。
- 争点1-2:被控訴人が、①~③の成分を含む薬剤を調合して被施術者に投与していたか(事実認定)
- 争点2-1:本件特許発明は「物の発明」として特許されているが、実質的に「医療行為」に該当し、産業上の利用可能性(特許法29条1項柱書)の要件を満たさない無効理由があるか
- 争点3-2:医師である被控訴人による組成物の製造行為は、調剤行為の免責(同法69条3項)に該当し、特許権侵害の責任を免れるか
- 争点3-3:本件特許権の行使は権利の濫用等に当たり許されないか
(1)事実認定(争点1-2)
被控訴人が、①自己由来の血漿、②b-FGF、③脂肪乳剤を混合した組成物を製造していたか否かについて、裁判所は、本件手術に用いた成分を記録していた薬剤ノートの記載等に基づき、モニター募集期間・一般募集期間を通じて、当該3成分を含む組成物を製造していたと認定。その組成物は豊胸手術の実施のために製造されたものであるから、被控訴人は、本件発明の技術的範囲に属する組成物を生産していたと判断した。
(2)産業上の利用可能性(争点2-1)
被控訴人は、本件特許発明は実質的に「医療行為」に関する発明であり、「産業上利用することができる発明」(特許法29条1項柱書)には該当せず無効であると主張したが、裁判所はこれを採用しなかった。
裁判所は、特許法29条1項柱書は、「産業上利用することができる発明」に限定して特許の対象とすると定めるが、人体に投与する物を明示的に除外しておらず、かつ昭和50年改正により「医薬の発明」を排除する条項が削除された経緯にも照らせば、豊胸を目的とする本件組成物のような発明であっても特許の対象となると判断した。
また、自己由来の血漿を用いる点についても、採血・製造・投与が必ずしも一体不可分の医療行為ではなく、製薬産業等の産業による研究開発の対象にもなり得るとし、技術の発展を促進する観点からも特許保護の必要性が認められるとした。
以下に裁判所の判断の一部を抜粋して紹介する。
「 法29条1項柱書きは、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」とするのみで、本件発明のような豊胸のために使用する組成物を含め、人体に投与する物につき、特許の対象から除外する旨を明示的に規定してはいない。
また、昭和50年法律第46号による改正前の法は、「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ。)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」を、特許を受けることができない発明としていたが(同改正前の法32条2号)、同改正においてこの規定は削除され、人体に投与することが予定されている医薬の発明であっても特許を受け得ることが明確にされたというべきである。
したがって、人体に投与することが予定されていることをもっては、当該「物の発明」が実質的に医療行為を対象とした「方法の発明」であって、「産業上利用することができる発明」に当たらないと解釈することは困難である。
次に、本件発明の「自己由来の血漿」は、被施術者から採血をして得て、最終的には被施術者に投与することが予定されているが、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造する行為は、必ずしも医師によって行われるものとは限らず、採血、組成物の製造及び被施術者への投与が、常に一連一体とみるべき不可分な行為であるとはいえない。むしろ、再生医療や遺伝子治療等の先端医療技術が飛躍的に進歩しつつある近年の状況も踏まえると、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造するなどの技術の発展には、医師のみならず、製薬産業その他の産業における研究開発が寄与するところが大きく、人の生命・健康の維持、回復に利用され得るものでもあるから、技術の発展を促進するために特許による保護を認める必要性が認められる。
そうすると、人間から採取したものを原材料として、最終的にそれがその人間の体内に戻されることが予定されている物の発明について、そのことをもって、これを実質的に「方法の発明」に当たるとか、一連の行為としてみると医療行為であるから「産業上利用することができる発明」に当たらないなどということはできない。」
(3)調剤行為の免責(争点3-2)
被控訴人は、自己由来の成分を用いた組成物の製造行為は、「処方せんにより調剤する行為」(特許法69条3項)に該当し、特許権の効力が及ばないと主張した。
これに対し裁判所は、本件発明は「二以上の医薬を混合して製造される医薬の発明」に該当せず、そもそも69条3項の適用対象外であるとして、抗弁を退けた。
また、豊胸用の組成物は審美目的によるものであり、病気の治療・予防等を目的とする「医薬」には該当せず、69条3項の立法趣旨(医療行為の円滑な実施という公益の実現という観点)からも、本件には適用されないと判断した。
以下に裁判所の判断の一部を抜粋して紹介する。
「法69条3項は、「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明」を対象とするところ、本件発明に係る組成物は、特許請求の範囲の記載からも明らかなとおり「豊胸のために使用する」ものであって、その豊胸の目的は、本件明細書等の段落【0003】に「女性にとって、容姿の美容の目的で、豊かな乳房を保つことの要望が大きく、そのための豊胸手術は、古くから種々行われてきた。」と記載されているように、主として審美にあるとされている。このような本件明細書等の記載のほか、現在の社会通念に照らしてみても、本件発明に係る組成物は、人の病気の診断、治療、処置又は予防のいずれかを目的とする物と認めることはできない。
これに対し、被控訴人は、本件発明は美容医療に関するところ、美容医療は、身体的特徴の再建、修復又は形成による心身の健康や自尊心の改善に寄与する分野であり、治療並びに身体の構造又は機能に影響を及ぼすものであるとして、本件発明が法69条3項の「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬についての発明」に当たると主張する。
しかし、一般に「病気」とは、「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」(甲25:広辞苑(第7版))、「生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態」(甲26:大辞泉(第1版・増補・新装版))という意味を有する語であって、上記のとおり主として審美を目的とする豊胸手術を要する状態を、そのような一般的な意味における「病気」ということは困難であるし、豊胸用組成物を「人の病気の…治療、処置又は予防のため使用する物」ということも困難である。
また、法69条3項は、昭和50年法律第46号による法改正により、特許を受けることができないとされていた「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」に関する規定(同改正前の法32条2号)が削除されたことに伴い創設された規定であるところ、その趣旨は、そのような「医薬」の調剤は、医師が、多数の種類の医薬の中から人の病気の治療等のために最も適切な薬効を期待できる医薬を選択し、処方せんを介して薬剤師等に指示して行われるものであり、医療行為の円滑な実施という公益の実現という観点から、当該医師の選択が特許権により妨げられないよう図ることにあると解される。しかるところ、少なくとも本件発明に係る豊胸手術に用いる薬剤の選択については、このような公益を直ちに認めることはできず、上記のとおり一般的な「病気」の語義を離れて、特許権の行使から特にこれを保護すべき実質的理由は見当たらないというべきである。」
(4)権利の濫用(争点3-3)
被控訴人は、本件特許権の行使は権利の濫用等に当たり許されないか、端的に医療行為には特許権の行使が及ばないと主張した。
これに対し裁判所は、少なくとも本件特許に係る豊胸手術に用いる薬剤の選択について、「医療行為の円滑な実施という公益」を直ちに認めることができないことは前記(争点3-2)のとおりであるとの前提に立つと、被控訴人が医師であるとしてもその行為に対して本件特許権を行使することが権利の濫用に当たるということはできないし、他に特許権の効力が及ばないとする理由はないと判断した。
3.コメント
本件知財高裁大合議判決は、(1)特許権侵害の成否、(2)産業上の利用可能性の判断枠組み、(3)医薬に係る調剤行為の特許権効力の及ぶ範囲、という論点を含んでおり、それぞれの論点に対する判示内容には、医薬・医療分野における今後の特許実務に対して大きな示唆を与えるものとなった。
(1)侵害成否に関する事実認定
本件でまず注目すべきは、東京地裁と知財高裁(大合議)との間で事実認定が分かれた点である。
東京地裁は、被控訴人である医師Yが特許発明の構成要件を全て具備する組成物を実際に調製・投与した事実を認めなかったため、その余の争点には立ち入ることなく請求を棄却した。
これに対し、知財高裁は、手術に用いた薬剤を記録した薬剤ノートの記載、及び被控訴人本人の供述内容や供述態度を踏まえ、被控訴人が3成分を調合して本件組成物を体外で製造し、施術に用いていたと認定した。その結果、被控訴人の行為は、特許発明に係る「物の発明」の直接実施行為に該当し、特許権侵害が成立するとの結論が導かれた。
このように、本件は証拠に基づく事実認定の違いが逆転判決の決め手となったものであり、医療現場での特許権侵害立証における証拠収集の重要性を再認識させる事例であった。
判決文からは、薬剤ノートの記載や被控訴人本人の供述内容・態度が事実認定の決め手になったと読み取れるが、控訴人はこれに加えて、被施術者の陳述、本件クリニックに勤務していた看護師及び准看護師の証言、さらに准看護師が成分を混合する様子を撮影した記録も証拠として提出していた。これらが裁判所の事実認定にどの程度影響したかは明らかではないが、このような証拠の取得が可能であった点は注目に値する。
なお、本件では、第三者意見募集(アミカス・ブリーフ)でも注目された、「構成成分を別個に体内に投与し、体内で混和された場合に特許侵害が成立するか」という難問については、知財高裁が組成物は体外で調製されたと認定したため、判断が示されるには至らなかった。
しかし、日本弁護士連合会や大阪弁護士会が提出した第三者意見書には、この論点に関する実務的且つ制度的な視点が詳細に論じられており、これら意見書は将来的な議論に向けた重要な素材になるだろう。
参考:
- 2024.08.22 日本弁護士連合会 お知らせ: 知的財産高等裁判所令和5年(ネ)第10040号損害賠償請求控訴事件における第三者意見募集に対する意見書
- 2024.09.03 大阪弁護士会: 知的財産高等裁判所令和5年(ネ)第10040号損害賠償請求事件における第三者意見
この問題は、医薬・医療分野から生み出される発明の保護に直結する論点である。今回の大合議判決を契機に、日本政府が医薬・医療分野における産業育成と制度整備に向けた政策的議論を再始動すべき時期が来ているのではないだろうか(2023.09.30 ブログ記事「2023.03.24 「東海医科 v. A」 東京地裁令和4年(ワ)5905 ― 体外と体内の狭間、組み合わせの物と方法の狭間、医療と産業の狭間で ―」(医薬系特許的判例ブログ年報 2023, p106-131)参照)。

(2)産業上利用可能性
知財高裁は、医療現場で投与される「物の発明」について、「人体に投与することが予定されている」という理由だけでは、それが医療行為に係る「方法の発明」として産業上利用できない発明とすることはできないと判示した。
この点は、再生医療等の発展を踏まえつつ、「物の発明」は特許法29条1項の「産業上利用することができる発明」に該当し得ることを再確認した判示であり、医療技術分野における「物」に関する発明の特許性に明確な地平を与えるものである。

「物の発明」として医薬を保護する特許が全て無効になってしまったら大混乱ですよ
ただし、複数の薬剤を別々に投与することを特徴とする医薬(表現としては「物」)の発明の特許性については、依然としてグレーゾーンが残されている。
ピオグリタゾン事件(大阪地裁平成23年(ワ)7576等)では、別個に投与される薬剤を組み合わせてなる「医薬」に関する発明ついて、「(併用療法)を技術的範囲とするものであれば,医療行為の内容それ自体を特許の対象とするものというほかなく,法29条1項柱書及び69条3項により,本来,特許を受けることができないものを技術的範囲とするものということになる」として特許性が否定される可能性があるとされた(2013.03.09ブログ記事「2012.09.27 「武田薬品 v. 沢井製薬」 大阪地裁平成23年(ワ)7576, 7578」参照)。

今回の大合議判決では、医師が投与前に薬剤を調合していた事実認定がなされたため、「別個に投与される場合」の特許性や侵害成立可能性には踏み込まれておらず、この領域に対する司法判断は依然として待たれることになった。
クレーム上「物」と表現されていても、実質的に「方法」的性質を有する医薬用途発明が、現行制度下では特許適格性のために形式的に「物」としてクレームするという選択を強いられていることによる「ねじれ」も依然として制度的課題である(2023.09.30ブログ記事「2023.03.24 「東海医科 v. A」 東京地裁令和4年(ワ)5905 ― 体外と体内の狭間、組み合わせの物と方法の狭間、医療と産業の狭間で ―」(医薬系特許的判例ブログ年報 2023, p106-131)参照))。

(3)調剤行為の免責規定
ア 「医薬」、「病気」とは
本判決において裁判所は、調剤行為の免責規定(特許法69条3項)について、本件特許発明が「医薬」に該当しないため、そもそも同項の適用余地がないとの判断を示した。
ここでいう「医薬」とは、特許法69条3項によると「人の病気の診断、治療、処置又は予防のために使用される物」と定義される。裁判所は、本件発明は審美目的(豊胸)での使用を前提とする組成物であり、現在の社会通念に照らしても「医薬」とは言えないとした。
このように、特許法69条3項における「医薬」の該当性を、「現在の社会通念」に基づいて判断した点については、特許法70条との整合性の観点から疑問が残る。特許発明が「医薬」に該当するか否かは、あくまで特許請求の範囲を中心とした技術的範囲に基づくべきであり、明細書を含めた解釈においても参照すべきは「現在の社会通念」ではなく、出願当時の技術常識であるとする見解にも十分な説得力がある。
なお、審美目的と医療目的の境界は必ずしも明確ではない。例えば「乳がん術後の乳房再建」、「瘢痕治療」、「歯科診療」などは、「病気」に該当するか否かの判断が一層難解となる分野である。これらは健康保険適用の有無にも関連し、「病気」の定義自体は社会的ニーズに応じて時代とともに変容し得ることから、特許法69条3項に規定する「医師又は薬剤師の・・・行為及び・・・調剤する医薬」の部分の方について「現在の社会通念に照らして」解釈するという基準を採用するのであれば一定の合理性を持つとも考えられる。
イ 医師の行為は常に免責されるわけではない
本判決を通じて明らかとなった一つの点は、医療技術に関する発明であっても、「物」としてクレームされれば、特許法29条1項柱書の適用により特許性が否定されることはないという、ある意味で形式論的な判断構造である。裁判所は、人体に投与することを前提とする「医薬の発明」は「物の発明」として特許対象になると明確に認めた一方で、そのような「医薬の発明」を権原なく医師が製造又は使用した場合一般の特許権侵害の成否については、直接的な言及を避けている。
この構造は、特許の成立要件(29条)と、特許権の効力制限(69条)という本来独立すべき論点が混然と扱われる危険性を内包しており、医療行為の自由と医療技術の保護の両立を困難にしかねない。特に、再生医療や個別化医療のように「物」と「方法」が密接に結びつく分野では、現在の川上規制(29条1項柱書)と川下規制(69条)とが混然と扱われているような法構造では適切な法的処理が困難となる場面が想定される。
本件では、医師による医療行為であっても、常に特許権侵害から免責されるわけではないことが明らかとなった。今回のように、医療行為の一環と評価される行為であっても、審美目的である医師の行為に対して特許権の行使が認められるとした裁判所の判断は、特許法の構造からすれば当然の帰結といえる。しかしながら、この判断は、患者に対して最善の治療を行う医師の自由が不可侵であるべきとする理念と、医療技術に対する適切なインセンティブを確保するという政策的要請との交錯点に位置しており、今後、議論を呼ぶ可能性がある。
加えて、本判決により、審美を目的とする医療分野においては調剤行為の免責が認められない可能性があることが明示されたことから、今後この分野でのFTO(Freedom to Operate)調査やライセンス戦略の重要性が一層高まるとみられる。仮に今後、医療機関や医師に対する差止請求や損害賠償請求が広がれば、医療現場における委縮効果が生じる懸念もあり、患者の利益と整合的な制度設計が求められる。
裁判所は、「医療行為の円滑な実施という公益」を直ちに認めることはできないとして、被控訴人の行為に対する本件特許権の行使が権利の濫用に当たるとはいえないと判断した。もっとも、この判断を逆に解釈すれば、「医療行為の円滑な実施という公益」が認められる場合には、その行為に対する特許権の行使が権利の濫用と評価される可能性があることを示唆しているとも読み取れる。
裁判所が言及した「医療行為の円滑な実施という公益の実現という観点」、すなわち医療行為の円滑な実施が特許権によって妨げられるべきではないとの理念は、特許性の問題ではなく、特許権の効力制限に関する問題である。したがって、医療行為の免責を明確に担保するには、特許法69条に明文規定の整備が望ましいとの立法論は、今もなお十分に説得力を有している。今後の制度的検討においては、「診療・治療方法に係る特許権は成立し得るが、医師によるその実施は免責される」といった枠組みの導入も、俎上に載せるべきであろう。
(4)損害額の算定
損害額の認定において、特許法102条2項に基づく逸失利益の主張が退けられた点も注目に値する。
特許権者である控訴人は、発明者が経営するクリニックにおける利益の逸失を主張したが、当該発明者が本件特許権について独占的通常実施権を有していた事実は認められないとされた。そのため、控訴人が当該発明者から損害賠償請求権の譲渡を受けたとの主張は前提を欠くとして、裁判所は102条2項の適用を否定した。
このように、たとえ特許発明の実施主体が発明者本人であっても、当該発明者が特許権者でない場合には、損害賠償の主張にあたって特許権者との法律関係の整理が不可欠となる。特に、102条2項に基づく逸失利益を主張するためには、特許権者又はそのライセンシーとして正当に実施していたことを法的に裏付ける関係性の証明が必要となる。
さらに本判決では、裁判所が業界水準を上回る実施料率を認定し、損害額を算定した点も興味深い。
被控訴人は、本件特許について、非侵害又は無効である旨の弁理士による鑑定書を取得していたが、裁判所は、当該鑑定の内容が採用に値しないこと、及び被控訴人が本件特許権の存在を認識した上で実施に踏み切ったことを重視し、特許法102条4項に基づいて、一般的な実施料率(6%)を上回る8%の実施料率(事後的(ex post)算定)を認定した。
このように、本件で認定された8%という実施料率は、医薬・バイオ分野における特許権侵害訴訟において、特許法102条3項(実施料相当額)及び同4項に基づく損害額算定の一つの目安となる可能性がある。とりわけ、侵害者が特許の存在を認識しながら実施に踏み切ったケースでは、事後的実施料率の増額が容認されやすくなる傾向が強まることが予想される。
4.まとめ
本件知財高裁大合議判決は、医療現場で用いられる「物の発明」について、産業上の利用可能性を肯定し、特に美容医療の文脈において、医師による調剤が特許権侵害となり得るとの判断を明確に示した点で、医薬・医療分野における今後の特許実務に対して大きな示唆を与えるものとなった。
一方で、本判決をもってしても、以下のような論点は依然として未解決のままであり、今後の立法及び判例の動向に注視する必要がある。
(1)同一の技術内容であっても、クレームの表現形式(「物の発明」か「方法の発明」か)によって、特許による保護の可否が大きく異なり得る現行制度の妥当性
(2)人体を介しても「発明の実施」と評価されるための要件
(3)「医薬」及び「病気」の概念について、特許法における理解と、現代の医学的・社会的通念との整合性
(4)医療行為の実施主体及び対象技術の性質に応じた、より明確で予測可能な特許法69条に関する制度設計の必要性
本判決が今後、医薬・医療分野における特許実務に与える影響は決して小さくない。実務家としては、本判決に示された論理構造とその射程を正確に理解し、出願戦略、契約実務、FTO調査、さらには訴訟対応に至るまで、多角的且つ戦略的な実務対応が求められる。
アシスタントたち:
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