Summary
本件は、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9に関する特許(特許第6692856号)に対して原告ツールゲンがした無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。
2025年6月26日、知財高裁は、真核細胞への適用に関する本件発明について、第1優先基礎出願の出願書類と当時の技術常識を踏まえれば、優先権主張に足る開示があったと認定し、よって被告らの優先権主張は有効であるとして、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。
本判決は、2020年ノーベル化学賞の対象ともなったCRISPR/Cas9技術を巡る知財上の優位性に関わるものであり、国際的な技術覇権争いの一環としても注目される。
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おや、ピポとミャオが何かおしゃべりしているようですよ・・・

ピポ先輩〜、CRISPR/Cas9ってノーベル賞取ったんですよね?
でも、誰が最初に「真核細胞で使える!」って発明したんですか?

それがねぇ、特許の世界では「原核細胞だけでなく、真核細胞でも本当に使えるって、どこまで言えてれば発明なの?」って、ず〜っと大もめなんだよ。

えー、「思いついたぞ!」だけでいいのか、「ちゃんと成功したぞ!」まで必要なのかってことですか?

そうそう。成功してなくても、明細書にちゃんと書いてあって、当時の技術を知ってる人が「うん、できそうだな」って思えば…発明したってことになる場合もあるんだよね…(汗)

なるほど。じゃあ、私たちAIが「思いついた!」って言えば、まだ実証してなくても、発明になる…かも?

そ、そ、その辺は……顧問弁護士と議論してからにしようか…(冷や汗)
1.背景
本件(知財高裁令和5年(行ケ)10147)は、発明の名称を「RNA依存性標的DNA修飾およびRNA依存性転写調節のための方法および組成物」とする特許(特許第6692856号)について、原告ツールゲンが無効審判請求(無効2022-800017号)を行い、請求不成立とされた審決の取消しを求めたものである。
争点は、審決が特許権者による優先権主張を認め、拡大先願に基づく無効理由を排斥した判断に誤りがあるか否かである。
請求項1は以下のとおり。
標的DNAを修飾する方法であって、
細胞内で該標的DNAを複合体と接触させることを含み、
該複合体は、
(a)Cas9ポリペプチド並びに
(b)DNA標的化RNAであって、
(i)該標的DNA内の配列に対して相補的なヌクレオチド配列を含むDNA標的化セグメント;および
(ii)前記Cas9ポリペプチドと相互作用するタンパク質結合セグメントであって、該タンパク質結合セグメントは、ハイブリダイズして二本鎖RNA(dsRNA)を形成する、2つの相補的な一続きのヌクレオチドを含み、前記dsRNAは、tracrRNAおよびCRISPR RNA(crRNA)の相補的ヌクレオチドを含む、該タンパク質結合セグメント
を含むDNA標的化RNA
を含む複合体であり、
該細胞は、植物細胞、動物細胞または単細胞真核生物であり、
該細胞は、インビボのヒト細胞ではなく、ヒト生殖細胞ではなく、およびヒト胚細胞ではなく、
該修飾は標的DNAの切断である、
前記標的DNAを修飾する方法。
本件特許の発明者のうち、エマニュエル・シャルパンティエ氏とジェニファー・ダウドナ氏は、CRISPR/Cas9技術の開発者として2020年にノーベル化学賞を受賞しており、本件特許はその技術に関連するものである。
この技術が原核細胞だけでなく「真核生物にも適用可能」であることの発明時点をめぐっては、米国でも旧法に基づくインターフェアレンス手続が展開されるなど、ライフサイエンス分野における基幹技術のグローバルな特許係争の一環として注目を集めている。
2.裁判所の判断
知的財産高等裁判所第2部(以下、「裁判所」)は、本件審決に判断の誤りはなく、原告の請求には理由がないとして、請求を棄却した。
(1)争点1:本件発明の優先日
裁判所は、
「本件特許は、パリ条約による優先権を主張しているところ、パリ条約4条A項は、いずれかの同盟国において正規に特許出願をした者に優先権を認めている。そして、同条H項は「優先権は、発明の構成部分で当該優先権の主張に係るものが最初の出願において請求の範囲内のものとして記載されていないことを理由としては、否認することができない。ただし、最初の出願に係る出願書類の全体により当該構成部分が明らかにされている場合に限る。」旨規定している。
すなわち、本件発明について、第1優先基礎出願に基づくパリ条約による優先権の主張が認められるかどうかは、特許請求の範囲だけではなく、実質的にみて第 1 出願書類の明細書を含む出願書類全体に記載されていると認められる事項に基づき判断すべきものである。
仮に本件発明が第1出願書類全体の記載に本件優先日当時の当業者の技術常識を組み合わせたとしても当業者において実施することができなかった発明であると認められる場合は、本件発明は、第1出願書類の全体に記載されていた事項であるとは認められず、パリ条約による優先権の主張の効果は認められないというべきである。
したがって、本件発明が、実質的に第1出願書類の全体に記載されていると認められるためには、当業者が第 1 出願書類の全体の記載及び本件優先日当時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤等を要さずに本件発明を実施することができたと認められる必要がある。」
と述べ、以下のように本件を判断した。
「第1出願書類には、遺伝子操作に関する従来技術に代わり得る技術を提供するものとして、標的DNAを部位特異的に修飾するCRISPR/Cas9 システム(DNA標的化RNAと部位特異的修飾ポリペプチドの複合体)の技術が開示され、その構成や、複合体の作成・細胞内への導入の方法(真核細胞に対するものを含む。)、その標的DNAの切断の機序が具体的に記載されている。
これらの記載によれば、第1出願書類には、CRISPR/Cas9 システムを真核細胞内の標的DNAに適用するという技術的思想が開示され、本件優先日当時の周知技術と組み合わせれば実施することが可能な程度に本件発明の具体的な説明が記載されていたものと認めるのが相当である。
・・・
本件発明は、第1出願書類全体の記載及び出願時の技術常識に基づき、実質的にみれば開示されていたというべきであり、本件特許に係る分割出願の対象となった国際特許出願がパリ条約4条C⑴の優先期間内にされたものであることは当裁判所に顕著であるから、本件発明は、パリ条約4条A⑴により第1優先基礎出願に基づく優先権主張の利益を享受することができるものと認められる。」
裁判所は、原告による以下の主張についても採用することができないと判断した。
ア 真核細胞への適用
原告は、本件発明者らは本件優先日において真核細胞への適用について実験に成功しておらず、また、CRISPR/Cas9 システムを真核細胞に適用する場合には、①RNAの分解、②構成及び複合体の形成と持続性、③毒性、④複雑な真核生物環境でのクロマチン結合DNAの作用の失敗等の障壁があるから、過度の試行錯誤なく実施することができるものとはいえないと主張した。
しかし、裁判所は、以下のとおり、原告の主張を採用することはできないと判断した。
「本件優先日時点で本件発明者らが実験に成功していなかったというだけで、第1出願書類における本件発明の開示が不十分になるわけではない。第1出願書類の記載に基づき、過度の試行錯誤を要するまでもなく、本件発明を実施することができると認められるのであれば、開示としては十分である。そもそも、生命科学の実験において、実験条件を変えながら最適な条件を見つけることは通常の試行錯誤の過程であると考えられる。原告が指摘するメールの内容等は、いずれも通常の試行錯誤の過程における仮想的な可能性や懸念について意見交換等しているものにすぎず、それだけでは、当業者において、過度の試行錯誤を要するような障壁があったことを認めることは困難である。
むしろ、本件発明者らが第1優先基礎出願に係るCRISPR/Cas9システムを刊行物(乙12・2012年6月28日)に発表した後、2012年10月から2013年1月までの短期間に、多くの研究者により、CRISPR/Cas9システムを真核細胞に適用しゲノム編集ができたことが報告されたことが認められる(前記2-4参照)。このことは、当業者において、第1出願書類の記載に基づき、過度の試行錯誤を要するまでもなく、本件発明を実施することができたことを示すものである。
そうすると、CRISPR/Cas9システムの真核細胞への適用について、仮に、原告の指摘するような問題点があったとしても、過度の試行錯誤を要するものとはいえず、原告の主張を採用することはできない。」
イ 実施例の要否
原告は、「本件発明は、ライフサイエンス分野の先駆的技術に係るものであって効果の予測が難しく、真核細胞への適用には種々の障壁等も存在するから、実施例のない第1出願書類の明細書の記載から、過度の試行錯誤を要することなくCRISPR/Cas9システムの真核細胞への適用をすることができるとはいえない」と主張した。
しかし、裁判所は、以下のとおり、原告の主張を採用することはできないと判断した。
「前記のとおり、第1出願書類には、CRISPR/Cas9 システムを真核細胞内の標的DNAに適用するという技術的思想が開示され、本件優先日当時の周知技術と組み合わせれば本件発明を実施することが可能な程度に具体的な記載がされていたと認められる以上、実施例の記載がなくても、なお、本件発明について本件優先日を出願日とする優先権の主張を認めることは妨げられないというべきである。原告の主張を採用することはできない。」
(2)争点2:拡大先願の該当性
裁判所は、争点1で優先権が認められるとした判断に基づき、拡大先願に該当するという原告の主張も排斥した。すなわち、本件発明の優先日は2012年5月25日であるから、甲1及び甲2の各国際特許出願は「他の特許出願」に該当せず、特許法29条の2の適用はないとした。
3.コメント
(1)優先権を享受できる開示の要件
本判決は、CRISPR/Cas9技術に係る発明について、パリ条約に基づく優先権が認められるための開示の範囲と実施可能性の要件を詳細に検討したものである。
特に興味深いのは、優先日後に他の研究者らが短期間で真核細胞におけるCRISPR/Cas9の実施に成功した事実をもって、当該時点の技術常識を裏付ける間接的証拠とし、優先日当時の実施可能性を肯定した点である。
この判断は、発明の開示要件の充足性評価において、出願当時の実験結果や成功例の有無に代えて、他者によるその後の実施成功例を手がかりに当時の技術常識を推認するという新たな(?)アプローチを採用しており、今後の判断枠組みに影響を及ぼす可能性がある。
優先権を享受できる開示要件について争われた近年の医薬関連事件としては、以下のものがある。
- 2024.05.21ブログ記事「2024.03.26 「フマキラー v. アース製薬」 知財高裁令和5年(行ケ)10057 ― 優先権主張の効果、補正・訂正要件、実施可能要件の交差点 ―」(『医薬系特許的判例ブログ年報 2024』 Fubuki著 2025年3月発行, p139-151)
- 2023.06.18ブログ記事「2023.04.06 「グリーンクロス v. シャイアー」 知財高裁令和4年(行ケ)10010 - 医薬用途発明の優先権の効果が認められるには?/本件特許はイズロン酸-2-スルファターゼ脳室内投与製剤(ムコ多糖症II型治療剤ヒュンタラーゼ®)の障害となるのか? -」(『医薬系特許的判例ブログ年報 2023』 Fubuki著 2024年5月発行, p132-161)
- 2008.12.23ブログ記事「2008.10.06 「ユーロスクリーン v. 小野薬品」 大阪地裁平成18年(ワ)7760」
- 2008.06.15ブログ記事「2006.11.30 「シンジェンタ v. 特許庁長官」 知財高裁平成17年(行ケ)10737」
- 2007.11.11ブログ記事「2000.09.05 「杏林製薬 v. 特許庁長官」 東京高裁平成11年(行ケ)207」
(2)CRISPR/Cas9技術のグローバル特許係争
本件特許の発明者であるシャルパンティエ氏およびダウドナ氏は、CRISPR/Cas9のパイオニアとして知られており、彼女らを擁するカリフォルニア大学・ウィーン大学(Charpentier-Vienna-California、以下「CVC」)は、CRISPR特許の中核的権利者と位置づけられる。
これに対して、ブロード研究所(Broad Institute)、ツールゲン(ToolGen)、アルドリッチ(Sigma-Aldrich、現Merck KGaA)なども、自らの独自発明を主張し、米国や欧州等で特許訴訟やインターフェアレンスを提起している。
2025年5月12日には、米国CAFCがPTABの判断(2022.12.21ブログ記事「2022年、医薬系”特許的”な出来事を振り返る。項目1.(3)CRISPR-Cas9は「誰」が先に発明したか?」参照)を取り消し、CVCに有利な方向で差し戻しを命じたことにより、真核細胞での基本発明の帰属をめぐる判断は再び流動化している(Case 2022-1594, 2022-1653)。
CRISPR/Cas9技術を用いた研究開発やライセンス戦略を進める製薬・バイオ企業にとって、今なお特許権の安定性が確保されていない状況が続いており、本件もその争いの一端を示す重要な判断といえる。
参考:
CRISPR/Cas9技術を巡る特許訴訟に関連するブログ記事は以下のとおり。
- 2023.01.23ブログ記事「2022.12.21 「ツールゲン v. 特許庁長官」 知財高裁令和3年(行ケ)10129・・・CRISPR-Cas9ゲノム編集を真核細胞で初実証したというToolGen社の発明の進歩性」
- 2022.03.11ブログ記事「真核細胞で使用するCRISPR-Cas9の先発明を巡るインターフェアレンス ブロード研究所に再度軍配があがる」
- 2020.03.04ブログ記事「2020.02.25 「ブロード研究所・MIT v. 特許庁長官」 知財高裁平成31年(行ケ)10011」
- 2020.02.29ブログ記事「2020.02.25 「ブロード研究所・MIT・ハーバード大学 v. 特許庁長官」 知財高裁平成31年(行ケ)10010」
アシスタントたち:
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